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■ 並んで見上げたあの空に 1

 10年ぶりに会う幼馴染のユキを出迎えるため、シロは地元の駅まで来ていた。

 町おこしの波に乗り遅れた彼らの地元はすっかり寂れ果てていて、今だにここらに残っている若者といったら、シロと後ほんの少ししかいない。狼や豹のような上位種は国の機関に採用が決まってあっさりとここを出て行ったし、シロと同じ猫の獣人でも、意識の高いシャム猫やペルシャ猫は都会に行ったきり帰ってこない。単なる雑種の白猫であるシロにとっては、のんきで時々ちょっとわずらわしいだけの地元も、彼らにとっては物足りない場所であるらしかった。
 到着予定時刻間近になっても、列車は影も形も見えない。昔からそうだ。だいたいの時間で動けばいいと思っているものばかりのここでは、列車だってだいたいの時間に着く。それに慣れているシロは、焦ることもなくぼんやりとホーム脇の草の上に腰を下ろした。
 初冬にしては春のような陽気の今日、陽射しも暖かい。大きくうーんと手を伸ばすと、白いしっぽがぷるりと震える。
 シロの細くて長いしっぽは感情を如実に表してしまうため、他の獣人たちに笑われることが多かった。年寄りの獣人たちは決して馬鹿にしているわけではなくて、むしろ可愛がってくれているのだろうけれど、指摘されれば恥ずかしいことには変わりない。だからなるべく動かさないようにしようと思うのだが、こればかりはうまくいかない。俺も母さんみたいなしっぽだったらよかったのにな、と常々思う。シロの母は白兎なので、そのしっぽは丸くちんまりとしている。あれならば余程の勢いで振らない限り、感情を表に出すことはないだろう。
 ぽかぽかした陽射しの中、獣人一匹見当たらない。皆、昼寝をしているか、のんびりテレビでも見ているのだろう。誰もいないなら、としっぽをぱたん、と動かして草を打ち鳴らしてみる。いつも動かさないようにしようとしているしっぽは、思う存分動かすととても気持ちが良かった。楽しくなってまたぱたん、と動かす。ぱたん、ぱたんと機嫌良く動かしているとようやく、遠く遠く、列車の汽笛が聞こえた。


 幼馴染のユキは、9歳の時に国のエリート校の選抜試験に合格して地元を出た。最初の1年目は一回だけ帰って来たのだけれど、2年目からは一度も帰ってきていない。だから会うのは実に10年ぶり。その間もずっと会いたかったのだけれど、人造細胞で人一人創り出すことなど容易なこの時代、エリートはそのDNA情報も高く売れるとかで、国のトップエリート校に進学したらそう易々と帰郷などできないものらしかった。連絡手段も昔ながらの電話やメールのみで、写真を送ってもらうことすら許されない。
 向こうの情報を送ってもらうのには規制が掛かったけれど、こちらから送りつける分にはウイルスなどを仕込んでいないことが確認されれば問題なかったので、シロはよく様々な写真をユキに送った。ユキは地元の何気ない季節の移り変わりの様子や祭などのイベント時の様子、それに何よりシロ自身が映っている写真をとりわけ喜んだので、事あるごとにカメラを持ち出してはパシャパシャと写真を撮り、また町の人々に撮ってもらった。そうして撮り貯めた写真がシロの手元には無数にある。最近では、友達が番いを見つけて結婚する時に、それらの中からいいのを見繕って欲しいと頼まれることも多い。結婚式で飾ったり、映写機で映し出したりするのだそうだ。
 そういう話を聞くと、シロはほんの少しだけ淋しい気持ちに襲われる。友達が生涯を共にすべき伴侶を見つけたのはとても素晴らしいことだと思うし、幸せになって欲しいと心底思う。けれど彼らの多くは都会で知り合った相手とそのまま都会で暮らすと言うので、それを聞くといつも、『みんなそうなんだな』と思ってしまうからだ。そしてたぶん、それはきっとユキも同じだろう、と。

 9歳の時から今日までずっと都会で暮らしてきたユキにとってこの地元は、もはや“幼いころに住んだことのある町”でしかないだろう。きっと都会で見つけた伴侶と番いになり、そのまま都会で暮らす将来を選ぶに違いない。それはもう絶対に確実なことのようにシロには思えた。シロはこの10年間、ユキに会ったことは一度もなく、また、写真を見せてもらえたことも一度もなかったから、ユキがどんな成獣になったのかわからない。けれど9歳だったユキも18歳になって、見違えるように綺麗になっているのは間違いないと思う。だって初めて会った3つの頃から、ユキは途轍もなく可愛い猫だったのだから。そんなユキは都会でだって引く手あまただろうし、何より国のトップエリートだ。都会で暮らすものと決まっている。
 ユキもいつかこの町を捨てて都会での永住を決める。それはすなわち、シロとは決定的に隔たるということだと考えると、シロの胸は切なく痛んだ。


 シロがユキと初めて会ったのは、ユキが3歳、シロが7歳の時。隣の家に越してきたと挨拶に来てくれた父子を玄関先で出迎えた時だった。
 父親だという毛並みの綺麗な茶トラ猫の後ろに、その獣人の子どもであろう何かはぴったりとくっついていて、姿がまるで見えなかった。けれど父親に挨拶をするように促されてようやく半分だけ姿を現したその子は、白い毛に灰色のトラ模様が入った不思議な毛並みをしていた。サバトラとも少し違う。そして瞳は、澄んだ春の小川のように真っ青。なんて綺麗なのだろうとシロは思った。
 ユキと名乗ったその子猫に向かってそうっと手を伸ばすと、少しびっくりしたような顔をしたが、柔らかそうなその毛並みを撫でてみるとすぐに目を細めた。しばらく撫でてから手を離すと、ユキの方が逆にシロの服をきゅっと握る。頭をこすりつけて「もっと撫でて」と甘えてくる愛らしさに、シロはメロメロになった。

 「ユキがこんなに懐くなんて初めてだなぁ」

 茶トラ猫のお父さんは愉快そうにそう言ってから、「シロ君、ユキをよろしくね」と、シロの顔を覗き込みながら優しそうな声で言ってくれた。
 事実、シロの知る大人の誰よりも優しかったユキのお父さんはしかし、それから2年もしないうちに交通事故で亡くなってしまったのだが、そんな未来が待ち構えているなどとは思いもしなかったその時、シロはユキのお父さんの茶色い目を見ながらしっかりと頷いてユキのことを請け負ったのだった

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