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■ 聞こえない声に、耳を澄ませて 1

「シロさん、どれがいい?」

 嬉しそうに声を弾ませたユキが、ベッドの上に極彩色の物体を並べていく。男性器を模したものから始まり、ボール状のものやクリップ状のもの、吸入式のもの、手枷・足枷・手錠・縄・拘束具の類い、果てはぶっとい注射器まで。いかがわしいもの見本市が開けそうな有様に、シロは軽く眩暈を感じた。

 ──安易に同意するんじゃなかった……。

 ユキは基本的に、シロが嫌がりそうなことはハナから提案してこないので安心していたのだ。だがまさかユキがこんな、並々ならぬ熱意を注ごうとは思いもしなかった。知っていたらもう少し抵抗した。あっさりいいよなんて言わなかった。

   +++

 事の発端は、一ヶ月前。
 ユキが“再会記念日”と呼ぶ日が近づいていたある夜、ユキが言ったのだ。せっかくだから、記念日にちなんで何か特別なことをしないか、と。

 ユキが地元に帰ってきて二匹が10年ぶりに再会した日は、同時に、ユキにとっては15年の長きに亘る片思いが成就し、想い続けた相手と結ばれた記念すべき日である──ということをシロも理解はしている。シロにとっては、ユキの想いを受け入れようと腹を括った日であるから、感動的な記念日というよりは責任感を感じる日ではあるが、それはまあともかくとして、ユキの思い入れを理解している。
 またシロの性格上、日付自体にもさしたる思い入れはなく、結果としてユキと楽しく暮らしている今が重要なのではないかと思いもするが、それもまたユキとは違うこともちゃんとわかっていた。何事にも細かく神経質で、記憶力も抜群に良く、それでいてシロ関連のことは特に重視するユキの中には、実に様々な“記念日”がある。シロと出会った日は勿論のこと、シロが初めて額にキスしてくれた日、二匹で迷子になった日、他のひとと親しげに話すシロを見て初めて嫉妬した日、シロの安らかな寝顔を見て大好きだと確信した日など。それらはユキの中にしっかりとした位置を占めていて、しかも日々着々と増えている。それを時折シロはユキから聞くのだが、その度、よく日付がごっちゃにならないものだと感心する。シロは、友達の誕生日すらほとんど覚えられない。シロが覚えているものといったら、自分の誕生日とユキの誕生日、後はレース・プーブリカの建国記念日くらいだ。そのくらい、二匹は記念日に関して温度差がある。

 だが、シロがユキの性格を理解しているのと同じように、ユキもそれらの記念日は自分が大切にしているだけであるということをよく理解していて、これまでユキはシロには何の負担も求めてこなかった。初デコチュー記念日にはデコチューを求められたりするが、その程度。全く手がかからなかったと言ってよい。だが今回、そのユキが初めてシロにも負担を求めてきたのだ。“再会記念日”だから、と。
 二匹の記念日なのだから、二匹で祝いたいという気持ちもわかる。また、何か特別なことをしてプレミアム感を出したいというのもわからないではなかった。だからシロはあっさり頷いたのだ。いいよ、と。──ちょっと凝った料理を夕食に出してやろうかと、その程度に捉えて。

 結論から言えば、ユキの“特別なこと”とは豪華なディナーのことではなかった。端的に言えば、大人のおもちゃの類いを使いたいというそれだけだった。ユキが勝手に揃えるというのでシロに金銭的負担は全くないが、精神的・肉体的負担は余りある。数日前になってからそれを知らされたシロは、そんなの嫌だと散々ごねた。だがユキはすでに大枚をはたいて準備済みで、もはや変更は効かないと言われ、挙げ句の果てにはユキの泣き落としに遭った。

『くっ……』

 シロがひるむと、ユキはさらにずりずりと寄ってきて潤んだ瞳で見つめて『シロさんおねがい』と訴える。そんなユキを押し退けられないのは幼い頃から長い時間かけて身に染み付いた習慣のようなもので、ユキだってこれをすればシロは折れるに違いないとわかってやっている。今のユキはもう、シロの庇護下にあった幼いユキとは違うというのに、それをすれば押し通せると思っているのが憎い。憎いが、あざといユキは可愛い。
 顔を背けて、潤んだスカイブルーの呪縛から逃れようとするシロの身体に、ユキのふわふわとしたしっぽが巻きつく。すりすりとなぞってくる柔らかな感触に、ぞくぞくとした感覚が背筋を走る。白と灰色の虎模様のしっぽは、シロの背中側から回って右腕をなぞり上げ、顎のあたりでしっぽの先をぴこぴこと動かす。たんぽぽの綿毛のように膨らんだ毛先はシロの首筋を刺激して、頬を撫ぜた。柔らかくて気持ちいいその感触に、シロの心はあっさりと陥落──だがそれでも、ただで負けるわけにはいかないと条件を出したのだ。

『一つだけ。俺が一つ選ぶ、その一つだけならいいよ』

 せめて選択権くらいは寄越せと主張すると、ユキは眉を下げてしょんぼりとした顔をする。

『じゃあ他のは……?捨てるの……?』

 いっぱい買っちゃったのに、と小さく呟く。そんな、さみしそうな、悲しそうな顔をするのはずるいと思う。

『他のは……他のは、また今度ってことで』

 いつか使うこともあるかもしれない、と可能性を残すことで宥めようとしたシロの言葉に、ユキの目がきらんと光った。

『じゃあ来年はまた違うのにしようね』

 満面の笑みを浮かべるユキは、買ったものが無駄にならないと喜んでいたが、それだけではないこともまた明白だった。そんなユキを見てシロは、余計なことはもう言うまいと口に手を当てたのだ。



 そして話は冒頭に戻る。嬉々としてユキが出してきたグッズの数々は実に卑猥で、中にはもう、卑猥を通り越して笑いを誘うものさえある。本当にこれは夜のお供にすべきものなのか、ネタじゃないかと疑ってしまう。けれどユキは目を爛々と輝かせていて、彼が笑いを取るために買ってきたわけではないことは明らか。そして今日は早速この中から一つ選ばなくてはならず、そして来年はまた違うの、そして再来年はさらにまた違うもの……と続けていくといつかはコンプリートする日が来るのもまた自明の理である。おぞましい形状のものも、笑っちゃうようなやつも、いつかは使わなければならないのだと思うとぞっとする。

「本当はね、メイド服も買おうか悩んだんだ。ひらひらのスカートの下から、シロさんの白いふわふわのしっぽが見えるのもいいなぁって」

 ユキは基本的に不機嫌な顔をシロには見せないが、今日はまた一段と笑顔の大盤振る舞いだ。
 奴隷制・身分制を撤廃して獣種間の差別をなくしたことで知られるレース・プーブリカ共和国において、あえて恋人間で身分差を設けて遊ぶのは、ブラックユーモアを通り越してシュールですらある。だが“ご主人様とメイドさんごっこ”は意外と根強い人気があり、ユキもまたそれに心惹かれる一匹らしかった。

「ごっこ遊びはもういいよ……昔散々やったじゃん……」

 遊び場所など山野しかなかった地元では、雨の日は家でごっこ遊びくらいしかやれるものがなかった。

「やったって、シロさんがハマってたのはヒーローごっこでしょ。おままごとはほとんどしてくれなかった癖に」

 山野を駆け回る理想的な幼少期を過ごしたシロは、運動神経にも体力にも自信があった。だから大きくなったらその特技を生かしてヒーローになるんだと半ば本気で思っていた。いつか来たるべきその時、ユキも一緒に戦う仲間になれるようにとユキを特訓していたのだが、幼い頃は身体も小さく体力もなかったユキにとってはそれが“付き合わされた”苦い記憶として残っているらしい。遠い目をするユキからシロはそっと視線を外した。
 シロがヒーローになる夢を諦めたのは、ユキがいじめに遭った時に何もできなかったことが原因であることをユキは知らない。

「ま、メイドさんはまたいつかの機会にするとして。それで、今日はどれがいい?」

 今日は、というところに力を入れるユキに顔を引きつらせつつ、ざっと見渡す。
 物騒なやつは恐い。使用方法がわからないやつはもっと恐い。卑猥なやつには触れたくないし、笑っちゃうようなやつは、……笑ったらユキが拗ねそうだから別の意味で触れたくない。悩み悩んだ結果、シロが手に取ったのはピンク色の小さな小瓶だった。
 それがシロにとって望ましくない効能を有していることは理解している。けれど、他のやつよりマシなのではないか。そう思って選んだシロに、ユキは露骨に不満そうな顔をした。

「えー……それ?」

 この場合、ユキが不満そうであればあるほどシロの安心感は増す。

「うん。これにする」

「こっちの方がよくない?ほら見て見て、ウニョウニョ動くよ?」

 いかがわしい形状の物を手に取って、子どもにおもちゃを与える親のような顔をして言うが、下心が見え見え過ぎて全く心惹かれない。

「これがいい」

 だがきっぱりと言い切れば、さすがにそれ以上は言わず、渋々ながら「わかった」と了承してくれた。

「これでいいんだね?」

 改めて確認されると、急に躊躇いが生まれる。しかしそこはぐっとこらえて、頷くに留めたシロだった。

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