top of page

■ うそつきの言い分 1

「ん」

 安っぽいファミリー向けレストランでクロの隣に陣取ったアオは、クロの目線をたどって、その先の存在に視線を向けた。

「……すっげー美人。誰?知り合い?」

 その先にいた人物に気づき、ひゅう、とへたくそな口笛を吹いたアオを、クロは顔をしかめ、それでもまだ何が気になるのかその存在を二度見する。

「俺の、今の雇い主。……の、片割れ」

 別に『雇い主』とだけ称しても問題ないだろうに、わざわざ“片割れ”と強調した。
 クロ自身が聞き手ならばそこに裏の意図や隠された心情を読み取るのだろうが、残念ながらアオにはそんな趣味はないので、そこはあっさりスルーする。

「へえー。お前の今の勤め先って言ったらユキさんの店だろ?今度行こうかな」

 クロが働いている店はユキとユキの番いがオーナーだというのは聞き知っていた。これまではさほど関心がなかったのだが、いざ本人を見かけると俄然興味が湧く。
 そう言ってアオがクロの肩を叩くと、クロは露骨に鬱陶しそうな顔をする。その上でさらに嫌がるのを承知で、にこっと笑いかけた。
 アオは、この首都で生まれ育ったオスのイタチである。クロとはかれこれ十年以上つるんでいる昔馴染み。だから何をすればクロが嫌がるかなどよくよくわかっていて、その上であえてしたアオの行動に、案の定クロは心底嫌そうに顔を歪めた。余人からは可愛いげがあると評判のこの作り笑顔を、クロは昔から胡散臭いと言って嫌う。

「うぜえ。……ってか、あの人シェフだから基本厨房から出てこないって」

「えー。じゃあ行ってもフロアにいるのお前だけ?」

「そ」

「お前の顔なんか今更見ても仕方ねーしなあ……」

 腹に収まればなんでもいい主義のアオには、シェフが腕を振るう料理を味わいに行くという発想はない。けれどシェフだと言われて改めて眺めた白猫の姿に、アオの口からは勝手に不満げな嘆息が漏れた。

「あれでシェフねえ……もったいない。あれなら、ダンサーでもやった方がよっぽど儲かるだろうに」

 視線の先にいるやけに綺麗な白猫は、喫茶店の窓際の席でつまらなそうにコーヒーが運ばれてくるのを待っていた。店員がお冷やを注ぎながら何事かを熱心に語りかけてくるのに時折、面倒くさそうに笑い、言葉を返す。ただそれだけのことなのに、夜闇の中安っぽく浮かび上がる寂れた店内では彼の存在はひどく目立って見えた。
 服装自体は何の変哲もない白いニットに細身のジーパンで、派手でも何でもないというのに、けだるそうな色気をだだ漏らせている。夜に馴染む、婀娜めいた雰囲気。すらりとした触りたくなるような体つきは、シェフという職には似つかわしくない。
 だがアオがそう言うとクロは、無表情のまま「あのひと運動能力は悪くねえけど、ダンスの練習とかサボりそうだから無理だと思う」と言った。アオの十年来の友人は、状況を読み的確に判断する能力に関しては人一倍優れている癖に、情緒というものをあまり解さない。ダンサーに向いていると言ったのは能力や適正云々の話ではなく、そのひとが持つ雰囲気の話だというのに。
 そんな彼は、雇い主だという白猫に対してもアオほどの感動を覚えていないらしかった。

 広い店の中、白猫と店員の会話は雑音に紛れて届かない。投げやりな笑みを浮かべるその顔が、どんな言葉を発しているのかにアオは興味が湧く。
 椅子をずりずり摺って、観葉植物の陰から近づいて聞き耳を立てようとしたアオをクロは「止めろって」と言って止めた。だがクロの耳も見ればピンと立っていて、両者が気になっていることは明白だ。それを見たアオは使命感すら帯びて、さらに観葉植物にへばりつく。
 話しかけているのは金色の毛並みのキツネのようだ。洒脱な、いかにも洗練された人種ですといった態度を顕わにするキツネに、アオなどは若干の反発心が芽生えるのだが、白猫は興味もなさそうにしているだけだ。

「……ねえ、……」

 熱心に言いつのる男の言葉だけが途切れ途切れに聞こえてくる。

「……悪い話じゃないでしょう?……だって…………、………ですよね……」

 それに対する彼の返答は小さく端的で、アオとクロの元へはほとんど届かない。だが白猫が発した何事か受けて、男の顔が少し歪んだのだけが目に入った。それに伴い、声も少し大きくなって聞き取りやすくなる。

「……はっ。正気ですか。そんなことが可能とは思えませんが」

 威嚇するような低い唸り声に白猫は初めて表情を変え、その白い顔ににっこりと挑発するような笑みを浮かべた。

「だとしても、あなたには関わりのないことです」

 白猫の態度に、店員の男はますます歪む。

「ああそうですか。じゃあもう、何があっても俺は知らない。それでいいんですね?」

「うん、それでいいです」

 未練をたっぷり滲ませる男をあっさりとぶった切って、薄く微笑む。その姿は随分と非情なようにアオの目には映り、それもあって尚更、男より優位に立つ術に長けているように感じられた。
 男はコップを荒々しく置き、厨房に戻っていく。彼はその後ろ姿を一瞥すらしない。水に手を伸ばしてゆっくりとそれを口に含んだ。

「さすがというか何というか……容赦ねーな」

 呟くアオに、クロはくぐもった奇妙な唸り声を発した。一匹になった彼の元に、すぐにまた見知らぬ男が近寄る。うざったそうに手を振り、白猫は伝票を持ってそのまま立ち上がった。
 店を出たその小さな姿は、すぐに雑踏に紛れて見えなくなる。興味の対象を失ったアオは飽きてクロの方を見たが、クロは窓の外に目をやり人混みの中になおも白猫の姿を探していた。

​□■ ← ・ → ■□

bottom of page