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■ 並んで見上げたあの空に 2

 初めて会ったその日からユキはシロに甘えてべったりになった。特に彼の父親が不慮の死を遂げて、天涯孤独となってしまった彼をシロの両親が面倒を見ることになって、一緒の家で暮らすようになってからは、シロが学校から帰ると後をついて回り、ぺったりと引っ付いて離れなくなってしまった。それはユキが就学年齢に達しても変わらなかった。
 元々引っ込み思案で人見知りだった彼がそんな風にシロに依存してしまったのは、父の死というつらい現実以上に、同年代の子どもたちとの不和に原因があるとシロは見ている。
 ユキは猫の獣人のはずなのに、耳が丸っこくてころんとしていた。それが変だと言って、学校の同級生たちは彼をからかったらしい。猫の耳は薄くぺたんとしていて三角なのが普通。なのにユキの耳は丸くて厚い、と。
 シロがそれを知ったのは、ユキが泣きながら「シロさんみたいな耳になりたい」と訴えてきたからだが、シロにはどうすることもできなかった。そこらにいくらでもいる雑種の白猫である自分とは違って、とても綺麗で可愛いユキがそんな風にいじめられるのはつらい。けれど4つ歳上である自分がその同級生を殴り飛ばすわけにはいかないし、もしもその同級生の親が狼などの上位種だったりした場合には、報復としてユキ諸共噛み殺されても文句は言えない。
 大人になってから調べたり聞いたりしたところによると、世界にはスコティッシュフォールドやアメリカンカールなど、耳の丸い猫というのは意外に多くいるらしかったが、子どもの頃はそんなことなど知る由もない。その頃のシロにできたのは、ユキはちっとも変ではない、とても綺麗で可愛い猫だと言って聞かせることだけだった。
 何度もそう言って撫で続けていると、ユキはそのうち涙を浮かべた瞳をシロに向ける。そうして、頭をぐりぐりとシロにこすりつけて涙をごまかしながら言うのだ。「シロさん、だいすき」と。

「僕もユキのことが、誰よりも何よりも大好きだよ」

 そう言って顔を覗き込むと、ユキはようやく可愛い笑みを浮かべてくれた。


 甘えん坊で、シロからほんの一時でも離れるのを嫌がったユキが、9歳の時にエリート校の選抜試験を受けることにしたのはきっと、そんなこの町に嫌気がさしたからと、後は、縁もゆかりもないのに隣人だからというだけでユキの面倒をみて来たシロの両親に気兼ねをしたからではないかと思う。
 気にするなと言ったところでユキは他人の気持ちに恐ろしく敏感な方だったし、シロの両親は両親で、シロにべったりなユキの将来を本当に心配していた。だから、嫌なことがあったりつらかったりしたらいつでも帰って来いと言い聞かせはしたものの、そのうちユキが全く帰ってこなくなってしまったのも、仕方のないことだと思いもした。
 そのユキの久々の帰郷。共にこの町にいた頃、毎日のように告げられていた「だいすき」は、それからも変わることなく続けられて、昨日の電話を切る間際にもユキはやはりそう言ってくれたけれど、それを聞くのもこれで最後になるのではないかとシロは思っていた。昨日の電話でユキはシロに「大事な話があるから、必ず駅に来て」と言っていたから。
 地元を離れていた友達が急に帰ってくることになって、話があると呼び出されることがシロにはこれまで何度もあった。その“話”というのはいつも同じだ。「結婚することになった」、「向こうに住むから、もうここには戻らないと思う」。それを何度となく聞いて、何人もの友達を見送ってきた。
 きっとユキの用件も同じだろう。この町に、いつかユキが帰ってくるんじゃないかと思って待ち続けていたけれど、その日々もこれで終わってしまう。けれどそれは、可愛い可愛いユキが幸せになるということなのだと念じて、笑顔で「おめでとう」「幸せになれよ」の言葉を伝えようと決めていた。

   +++

 遠く聞こえた汽笛が近づき、やがて目の前でぷしゅう、と気の抜けるような音を立てて止まる。ざわめきと共にバラバラとホームに降り立つ人影があり、その一つ一つにシロは目を凝らした。
 猿の獣人、犬の獣人、鳥の獣人。虎の獣人、もぐらの獣人、と目で確認したところでカピバラの獣人が降りて来て、思わず目を奪われる。カピバラなんて初めて見た。この町から出たことのないシロは、都会には多くいるという外来種のほとんどに会ったことがない。ユキにもカピバラの友達やジャッカルの友達がいるのだろうかと考えて、またホームに目を凝らす。だがその列車に乗って来たのはそれで全てであるらしかった。

「乗り遅れた……のかな?」

 手に持った端末を見ても着歴はない。

 ──まさか連絡ができないような問題が起きたってことはないよな……?

 ユキの父親が交通事故で亡くなった時のことが一瞬頭をよぎる。そんな不吉な考えを振り切るように頭を振って、アドレスからユキの番号を呼び出そうとした。

「シロさん?」

 ふいに呼ばれた名前に、電話をかけようとしていた手が止まる。随分上の方から落ちてきた低い声を不審に思って見上げると、先ほどホームに降り立っていた、すらりとした長身の虎の獣人がシロを高みから見下ろしていた。上位種であることに加えて、彼はひどく洗練された雰囲気をまとっていて、シロに用があるような人種とは思われなかった。

「そうですけど……?」

 一体何の用だろう、もしかしてユキの向こうでの知り合いで、伝言でも預かってくれているのだろうかと首を傾げたシロに、虎の獣人は顔をくしゃりとさせて笑う。そうして笑うと、酷く整った精悍な顔立ちのホワイトタイガーが一気に幼い印象になった。

「ああ、やっぱりそうだ。やっと会えた……!」

 伸びてきた手をぼんやり見ていると、その手にぎゅっと抱きしめられて、厚い胸板に顔が埋まる。

「……!っ、な、何……?」

 見知らぬ虎にいきなり抱きしめられ、そこでやっと身体が逃げを打つ。肉食獣の力に猫がかなうわけないと知っていたが、それでも手をついてその腕から逃れようとしたシロを彼はひょいっと持ち上げた。
 急に高くなった視界にくらくらする。同じ目線になった虎に目をやると、海のように深い青い目が嬉しそうに細められた。

「……もしか、して」

 真っ白な毛に、灰色のトラ模様。丸く厚みのある、猫らしくない耳。そして深く優しい紺碧の瞳。

「俺だよ、シロさん」

「…………………ユキ?」

 名前を呼ぶと彼は、初めて会った時と同じように頭をこすりつけて甘えてみせた

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