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■ 夢見る頃を過ぎても 1

「あー、あったあった」

 よいしょ、というかけ声をかけて天袋から大きな箱を取り出したシロは、脚立を押さえていたクロとアオにそれを差し出した。

「受け取ってー。重いー」
「はい。手、離していいですよ」

 クロが言うと同時に、ずっしりとした重みが腕にかかる。シロが田舎を出る時に持ってきたものを一切合切詰め込んであるというその箱は、見かけに反してかなりの重量があった。

「この中に入ってるはずなんだけど……ん~……」

 脚立を下りてきて、箱の中に半分顔を突っ込んでガサガサと中に顔を漁ったシロは、すぐに「あった!」という声と共に顔を上げる。そしてその手に持った一枚の写真をクロとアオに見せてくれた。

「うっわ、シロさんちっちゃ……」

 感嘆の声を上げたアオに、シロはむふふと笑って自身も写真を横から覗き込む。

「8歳か9歳の頃かなぁ」

 そこには、幼く可愛らしいシロがカメラに向かって笑いながら手を振る姿が写っていた。屈託のない笑顔は今と同じで、面影もわずかに残っている。だからその写真に映った白い子猫はシロなのだと聞くまでもなくわかる、のだが。

「え…………じゃあこの、シロさんにくっ付いてる、サバトラの子猫って……」

 恐る恐るといった様子で尋ねたアオに、シロはあっさりと首肯する。

「そ。小さい頃のユキ」

「えぇぇえええ!」

 こちらに向かって笑いかけている幼いシロよりもさらに小さい。シロにへばり付いて、脇からわずかに顔を覗かせてこちらの様子を窺っている子猫。白い毛に灰色のトラ模様で、瞳は真っ青なスカイブルー。その特徴は確かに今のユキと全く同じなのだけれど、シロにぎゅっとしがみついて離れようとしない、カメラを警戒しつつも怯えているような態度には今のユキと繋がるところは一つも見当たらなかった。

「んーと、このユキは4つか5つだね」

 そう言われても全く納得できない。一般的な4~5歳よりも一段と小さく細く弱々しそうなその子は、シロ以外に味方などいないのだと言いたげに必死にシロにしがみ付いている。カメラを見上げる大きな目は、シロを連れて行かないで、僕から奪い取らないでと訴えているようですらあった。

「可愛いでしょ」

 そう言って自慢げに笑うシロに、確かに可愛らしいは可愛らしいけれど……、とクロとアオは戸惑う。

「4つ5つでこんなんじゃ、学校でいじめられたんじゃないですか?」

 この子が一匹で生きていけるとは、とてもではないが思えない。そう思ったクロと時を同じくして同様の結論に至ったらしいアオは、シロにそう尋ねる。その問いにシロは途端に笑顔を引っ込めて耳をぺたんと伏せて小さく頷いた。

「うん……ほら、耳が丸いでしょ。それを、猫のくせに、って揶揄われたみたいでね……」

 そう言うシロに頷き返しながらも、クロにはそれだけが理由だとは思えなかった。子どもは大人より力関係に敏感だ。同年代の子どもらの目にこの子は、明らかに自分たちより弱く劣ったものと映ったに違いなく、耳のことはいじめるための後付けの理由だったとしか思えない。

「この頃に、ホワイトタイガーだって気づいてあげられればよかったんだけど」

「まあ……、これじゃあ虎だとは誰も思いませんよ」

 後悔を滲ませて幼いユキの写真を撫でるシロにクロがそう返すと、シロはようやく少しの笑顔を見せる。そんじょそこらの猫の子よりよっぽど弱そうなこの子を、虎だと思う大人がいたら会ってみたいものだと思った、クロの言葉は掛け値なしの本音だったが、シロはそれを慰めの言葉と捉えたようだった。
 他のユキとシロの写真が見たいとねだるアオに、シロはまた箱の中を漁って写真を掻き出す。ばらばらと大量に出てきた写真の束を見ていくうちに、ふとクロの手はある一枚の写真で止まった。

「どした?」

 急に固まったクロの手元をアオが覗き込む。そこには、先ほどの写真よりはだいぶ年月が経って、15、16歳の頃らしきシロがぼんやりと遠くを見ていた。

「……なんかこのシロさん、知ってる気がする」

「えー?」

 疑わしげな声を出すアオをよそに記憶をたどるも、ぼんやりと霧がかかったように記憶が不鮮明で思い出せない。

「俺ら、きっとこの頃8つとか9つだろ?会ってるわけないし。勘違いじゃね?」

 ひらひらと手を振るアオに曖昧に頷き返しつつ、いやでも……、という思いが拭えない。この頃のシロと実際に会う機会は、アオの言う通り確かにないだろう。ならばこのシロを見たというよりは、この写真をどこかで見たのだろうか?
 うーん、と唸るクロを放り出して、アオとシロは写真を手に昔話に花を咲かせている。今のユキとは全く違う、幼い頃のユキの話は興味深く関心もあるのに、どうしてもこの写真が気になってしまう。

 ──うーん?

 一頻り首を傾げて、それでも浮上しない記憶にため息をついて写真を手離そうとしたその時、ドアを開ける音ともに「ただいま」と告げるユキの声が響いた。

「あ、おかえりー」

 パタパタと玄関まで迎えに出るシロに反して、アオは慌てて散らかしたままの写真を掻き集める。だがそれを箱に戻し終えるより一歩早く、ユキがリビングに姿を現した。

「楽しそうだね」

 シロにはにこにことした笑顔を見せるくせに、クロとアオには嫌味なのか本音なのか判断しづらいトーンで言う。そんなユキを、アオはしっぽを2倍くらいに膨らませて上目遣いで見上げた。

「お邪魔してます……」
「お邪魔してます」

 アオに次いで挨拶をしたクロの手元でユキの視線が止まった。

「……これはまた、随分と懐かしいものを」

 目を細めたユキにシロが屈託のない声をかける。

「二人にね、昔の写真を見せてたんだよ」

 シロの声に頷きながら、ユキはクロの手から写真を受け取る。細めた目の端に愛おしさを滲ませて、わずかに口角を上げた。
 それを見たクロの頭の中で、急に電気信号が走ったように記憶と記憶が繋がる。

 ──あ、あの時だ……。

 遠くを見つめる昔のシロの写真、それを見たのは今から遡ること三年前。ユキと出会ってまだ間もない時分の頃のことだった。
 クロが中央機関の下請け会社でバイトを始めた頃。時を同じくしてユキは中央機関の内定を得て、学生バイトながらすでに主戦力として中央機関で働いていた。お互い同じバイトの身分ではあるが、片やこの先もしばらく学生バイトで、片やエリートコースが約束された身。
 特にユキは、上位種であることに加えてしっかり鍛えていることがわかる体躯をしていたし、エリート校でも有名な頭脳の持ち主。それだけでもう、優秀でも何でもないそこらの学校の学生は近寄り難いのに、ユキ自身、慇懃丁寧な物腰ではあったけれど今よりずっと気さくというには程遠かったので、当時クロとユキは事務的な要件以外はほとんど話したことがなかった。
 そんな折だ。引き出しから書類を出そうとしたユキの手元から、ひらりと一枚の写真が落ちたのは。
 デスクの引き出しに入れてあったらしいその写真には、猫の獣人とおぼしい人物が映っていた。
 翡翠色の澄んだ瞳が遠くを見つめる。柔かそうな頬は明るい陽射しを受けて透き通るほどに白く、ピンと立った耳も真っ白。春めいた空気を纏ったそのひとは、しかし表情は物憂げで、そのアンバランスさが妙に人目を惹いた。

『美人ですね』

 余計なことは喋らないようにしていたのに、何故そのようなことを口走ってしまったのか。口に出すと同時に後悔したクロだったが。

『……うん。綺麗な、ひとだよ』

 だが、予想だにしなかったユキの返答に思わず目を瞠る。誰が可愛いとかどんなタイプが好みだとか、そんな他愛ない雑談にさえまるで嫌悪するかの如く乗ってこないユキだったから、まさかそんな返答をするとは思いもしなかった。
 クロが返した写真を受け取って、ユキはその藍色の瞳をわずかに細めてじっと写真のひとを見つめる。
 狂おしいほどに愛しい、そんな感情が溢れ出そうな視線に、クロの方が恥ずかしさを覚えて目線をそらした。

 ──あの時の写真、シロさんだったのか……。

 その二年後、実際に会ったシロは写真の印象とはまるで違う明るいひとだったから、今の今まで気づかなかった。
 今日あったことを楽しげに語るシロを、見つめるユキの視線はあの時と全く変わらない。
 シロに以前聞いた話が確かならばあの後すぐ、クロがシロの写真を見てから半年もしないうちにユキは十年ぶりの帰省を果たし、シロを首都に迎えたはずだった。

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