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■ それは陽だまりに似た 1

 ビルの出入り口付近には当然のように闇ブローカーの構成員と思しき者たちがいる。内部にはもちろん、それ以上にいるから下手にうろつけばすぐに捕まってしまう。
 いつもならば、身の軽さには自信があるから、走って逃げようとすれば逃げられなくもないが、今のシロの体力では死ぬ気で走ったところですぐに捕まってしまうだろう。シロが捕まれば、誰が地下から出したのかが問題となり、トキやソラにいらぬ疑惑を招いてしまうのは確実。また、手当てして貰った姿を見られるのも大変よろしくなかった。
 できれば、誰にも見られず、誰も見つからずに逃げたい。さらに欲をかくなら、自力であの地下洞窟から逃げ出したように見せたい。どうすればそう見せられるか。悩んだ末にシロが出した結論は、一旦あの地下洞窟に戻ることだった。一番最初に目を覚ました、あのゴミ捨て場のような場所。黄ばんだマットレスや生ごみ、自転車がうち捨てられていたあそこは、どこからか雪が舞い込んでいた。どこかに通じている通路があるのではないか。またもしもなかったとしても、そこから逃げ出したように見せかけられればそれでいい。本当にそこから逃げたかどうかなんて、誰にもわかりはしないのだから。

「えーええええー」

「んな不満そうな声出したって、しょうがねーだろ…」

「なんで俺らが行かなきゃならねーんだよー。うおー」

 ぐだぐだと喋りながら歩いてくる気配に、とっさに近くにあった段ボールの陰に隠れる。ぐずる兎を、狐が引っ張って歩いているようだった。のんきさの漂う一幕だが、彼らは平和な一市民では無論ない。闇ブローカー“ズロー”の構成員たちだ。

「早くしろよ。またどやされる」

「上ー?」

「らしい。ガキを締め上げてるって」

 ガキを締め上げてる、の言葉に、隠れているシロの胸もドクンと鳴る。だが、ぎゅっと掌を握りしめて二匹をやり過ごす。
 ソラのことはトキが何とかすると言っていたのだから、それを信じて今は任せるしかない。シロが出て行ったら、それこそ余計な問題を引き起こすだけだし、今の自分は足手まといになりこそすれ、何の戦力にもなりはしないのだから。そう自分に言い聞かせて、息を吐く。二匹の姿が完全に消えるのを待って、彼らが向かったのとは反対の方向に進んだ。
 ひと気のない方向へ、そして下へ下へ。知らぬ間にトキに連れ出して貰っていたから、道などわかりはしない。ただひたすらに、下へ下へと向かい続ける。
 地下本部と言っていたけれど、一体地下何層まであるのかと不安を覚え始めた矢先、廊下のどん詰まりの先に、薄汚い扉を見つけた。

 この扉の先が違っていたら、あとはもう戻るしかない。ここにたどり着くまでの間に扉などいっぱいあった。その全てを開けていたら、すぐに誰かに見つかるだろう。もしここが違っていたら……、そう考えて迷走し始めた思考をシロは頭を振って断ち切った。考えたって仕方ない。えいやっと勢いを付けて開けた。
 扉の向こうは真っ暗で、何があるのか全く見えない。けれどシロが今立っている建物の廊下とは明らかに違う、ひんやりとした湿った空気が漂っていて、これはもしやと期待を寄せた。足下も暗く、何も見えない。恐る恐る踏み出した足は、ずる…っと階段一段分くらい下がって、不安定なごつごつとした岩場へと着地した。

「ビンゴだ」

 カツ…ン、と岩窟にシロの足音が響く。トキに借りた靴底の厚いブーツは、岩も物ともしない。しっかりと両足で降り立ち、それからゆっくりとシロは扉を閉めた。
 無明の闇がシロを包む。明かりなんて持ってない。自分の指先さえ見えない暗闇の中、シロはゆっくり目をつぶった。

 しっとりと濡れるような空気、わずかに混じる異臭。遠く遠く、手の届かない遠くからかすかに風が吹いてきている?それを肌で感じる。田舎の町にあった、ほこらと同じ空気だ。ひとの手で掘られた洞窟は風の流れが不自然で、曲がりくねり歪むから、すぐにそれとわかる。ここも同じ。歩いていけば必ず、どこかにたどり着く。

 ゆっくり、ゆっくりと目を開ける。闇にやっと慣れ始めたばかりの目は、まだわずかな岩肌の凹凸しか見えない。けれどすぐに色々と見えるようになるだろう。だってトキに助けて貰う前は、マットレスや自転車などがはっきりと見えていたのだから。
 岩の凹凸に手を掛けて、ゆっくりと歩き始める。トキのブーツはかなり重いけれど、転びさえしなければ怪我をする心配はなさそうだ。一歩一歩落ち着いて、岩場に片手を当てながら慎重に歩を進める。ごつごつとしていることしかわからなかった岩肌が、曲がりくねり道が分かれているのが見えるようになってくる。これだけ分岐しているなら、あのマットレスのところへたどり着かなくても問題はない。分かれ道に差し掛かるたび、慎重に気配を探りながら進んだ。風を感じる方へ、澄んだ空気が流れている方へと。
 かなりの時間歩くうちにようやく目が慣れてくる。いくつもの分かれ道を経て、そしてさらに歩いてようやく見覚えのあるゴミ捨て場らしきところへとたどり着いた。

「……まだ奥……?」

 マットレスのそばに立ってみるけれど、外の光はまだ見えない。けれど、さらに奥の方から風が吹き込んでくる。今はもう雪は降っていないようで、風だけを感じた。
 さらに歩を進める。ここが首都直下に開けられた洞窟なのだとしたら、一体どこに通じているのだろう。道はどんどん狭くなり、やがて大きな岩がその行く手を阻むようになってきた。跨いで通れるうちはよかったが、よじ登って向こう側へ行かなくてはならなくなってきた。そうして先へ先へと進むうちに、とうとう、これを乗り越えたらもう戻れないだろうと思われるような、巨岩の前にたどり着いた。

「まさかこのまま進んでも行き止まりなんて、ないよね……?」

 もし行き止まりだったとしても、これを越えたらもう戻れない。現状すでに、幾つもの分岐をどのように選んできたかなんてわからなくなってきていて、正確に戻れる自信などないけれど。
 でも確かに、風はこの向こうから吹いている。

「……考えても仕方ない!行く!」

 両手で巨岩の肌を掴んだ。凍傷になっている指には、岩登りはかなり過酷だったが、なんとか登り切り、向こう側へ飛び降りる。岩と岩の細い隙間を通り抜けて、のぞき込んだ先に、ぽっかりと明るい出口が見えた。

「外だ……!」

 どきどきしながら出口へと向かう。白い丸い穴のように見える岩盤の隙間へと身を捻ってねじ込んだシロは、その先に続いていた光景に言葉を失った。

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