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■ 並んで見上げたあの空に 3

 町に一軒しかない旅館に部屋をとってあるというユキに、うちに泊まればいいのにと言ったが、ユキは笑って首を振るだけで決して頷こうとはしなかった。やはりユキはうちが嫌いなのかと思って俯くシロの頬を、だが彼は優しく撫でる。

「そんなんじゃないよ。明日には、挨拶に行くつもり。でもその前にシロさんと落ち着いたところで話がしたいから」

 そう言って微笑んだユキは、シロなど足元にも及ばないような洗練された成獣のオスに変貌していて、甘えん坊で可愛かったユキとは別人のようだった。

「ユキは、ホワイトタイガーだったんだな……」

 上位種というだけで勝手に竦もうとする身体を押さえつけて、平静を装って尋ねる。上位種の証でもある薄い虹彩を細くして、彼は笑いながら頷いた。

「俺も初めて知った時びっくりしたよ。父さんが茶トラ猫だったから、てっきり自分もトラ猫だと思い込んでたからね。虎だってわかってから両親の遺品整理してて知ったんだけど、俺を産んですぐに亡くなった母さんはホワイトタイガーだったみたい」

「そうか、お母さんが……」

「うん、全然覚えてないんだけどね。写真で見ただけで」

 両親共に今だ健在なシロには、産まれてすぐに母を亡くし、わずか5歳で父をなくしたユキの気持ちは想像することしかできない。しかし、写真でしか知らないというそのユキの母の血が、獣種という形でしっかりとユキに受け継がれていたのだ。

「昔、お前をいじめてた奴ら、知ったらびっくりするな」

 ホワイトタイガーといえば、上位種の中でも最上位に位置する。そんな貴種を猫らしくないと言っていじめていたとわかれば、ただでは済まない。けれどユキはさもどうでも良さそうに「興味ないよ」とだけ言った。

「それよりさ、シロさんの話聞かせてよ。ね、今はレストランで働いてるんでしょ?どんなお客さんが来るの?」

 シロ以外には関心がない。そんな態度をあからさまに出すところは、可愛かったユキとちっとも変わってない。シロの話を嬉しそうに楽しそうに聞いてくれるところも、もっともっととねだるところも。

 ──あぁ。手放したく、ないな……。

 自分はわがままなのだと、シロは思う。この町が自分にとっては居心地がよくて、この町にいたいのと同時に、ユキも手放したくない。ユキはきっと二度とここへは戻らないだろうに。

 ――それとも俺が都会へ行けば、少しは何かが変わるのかな……。

 ユキの番いとなる相手とも、友達になれたりするだろうか。考えた端から、無理だという気しかしない。猫の番いならまだしも、ホワイトタイガーの番いだ。同じ虎か、それとも豹か。わからないけれど、今のユキと同じように洗練された上位種の、手も届かないような相手だろう。雑種の白猫のシロが親しくなんて、なれるわけがない。

 ──俺も虎の獣人だったら、よかったのに。

 小さい頃のユキが、シロのような耳になってシロと同じになりたいと言って泣いた時の気持ちが、ほんの少しだけわかった気がした。

   +++

 「お前まさか……臓器売ったりしてないよな?」

 ユキが予約した部屋というのは旅館の一等上等な離れの個室で、一般庶民に過ぎないシロはその金額を想像しただけで目が回った。エリート校の特待生といえど、まだ学生の身分のはずなのに、こんなお金をどこから手に入れたのか。心配になって聞くと、ユキはさもおかしそうにケラケラと笑った。

「臓器売ったら、この町丸ごと手に入るよ」

 なんでもユキは中等教育学校も高等教育学校も首席で合格したのだとかで、指一本、爪の垢一片でも莫大な金になるのだそうだ。ユキのDNAを喉から手が出るほど欲しいと思っているものがたくさんいるのだという。

「そんな奴らに自分を与えるなんて、気持ち悪いから絶対しないけどね」

 酷く酷薄な顔をしてそう言うから、話すうちに収まりかけていた上位種への恐怖がシロの中でまた首をもたげる。だがユキはすぐににこりと笑って、シロの首筋に顔を埋めてきた。
 首筋に鼻をこすりつけて匂いを嗅ぐ、子どもじみたユキの行動に、なぜかぞわりと背筋を這うものがある。向かい合わせでユキの膝の上に座らされている態勢は、シロの方が子どものようで恥ずかしい。けれど、膝から降りようとしたシロをユキは抱きしめた腕に力をこめることで簡単に阻止した。

「ダメ。やっと会えたんだから、ちゃんと顔見せて」

 低く声変わりした音で甘く囁かれ、自然と顔が赤くなる。

「うん、やっぱり写真より本物の方が可愛い」

 ぐるぐると満足そうに低く喉を鳴らしたユキは、カプリとシロの首を甘噛みした。

「……っ、ユキ!冗談はそのくらいに……っ!」

 ネコ科の動物が同族にする捕食行動は、子どもの頃の兄弟同士の甘噛みを除けば、求愛行動であると見なされる。シロはユキと出会ってから9歳の時に別れるまで幾度となく甘噛みをされてきたが、それは幼い頃だったから許された行為だ。ユキが成獣となって適齢期に入った今は、兄弟同士の親愛行動だと言って許されることではない。
 ユキの肩に掛けた手に力を込めたシロを、だがユキはじっと見つめてきた。

「ユキ……?」

「シロさん」

 先ほどまで、頭をこすりつけて甘えてきたのと同一とは思われないほどに成熟した、大人のオスの目。発情期を迎えた獣の目で見つめられ、シロは自分の顔が赤く染まるのを感じた。

「シロさん、俺と一緒になって。一生、大事にするから」

 知らぬうちに大きなって筋張った手が、シロの両頬を包む。真剣そのものなのに、それでもシロを見つめるその青い瞳は甘くとろけるように感じられた。

「大事な話って、それ……?」

 この地元を、そしてシロを捨てて新しい人生を歩むという話ではなかったのかと思いながら尋ねると、ユキはあっさり「うん」と言う。

「明日、おじさんとおばさんのところに挨拶に行こうと思うからさ。その前に、シロさんの同意がもらいたいなと思って」

 無邪気極まりない様子でそう言ってから、耳をぺたんと伏せて、すらりとした尻尾を力なく垂らした。

「ね、いいよね……? お願いシロさん、いいよって言って…」

 見上げてくる目が切なそうで、気のせいか潤んでいるようにさえ見えた。
 変わらないユキの常套手段に、自然と苦笑が漏れる。こうすればシロが折れるとユキはわかってやっている。けれど今回のは特に、ユキ渾身のおねだりのようだった。
 頭を撫で、手触りの良い滑らかな髪を指で梳く。ついでにぺたりと力ない耳をもむようにくすぐってやると、ぴくぴくと耳を震わせながらもその責め苦に耐えた。

「いいよ」

「え……?」

 耳をくすぐられてよく聞こえなかったのか、ユキが上目遣いで見上げてくる。眉尻の下がったその情けない顔に笑いかけて、ゆっくりと頷く。

「いいよ。ユキの番いになる」

「シロさん……!」

 ぎゅうぎゅうと力いっぱい抱きしめてくる背中に手を回して、その身体を強く抱き返す。肩に顎を乗せてふと視線を下ろすと、ユキの尻尾がぱたぱたと一生懸命に床を叩いていた。

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