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■ うそつきの言い分 7

「まず、アオと親しくなったのはごく最近。ユキがアオとランチタイムに来たことがあっただろ?あれから夜に一匹で来てくれて、クロが上がるの待って一緒に帰ってくことが何度かあったんだ。それで。……あの二匹が俺に加勢してくれたのは、そうして欲しいって頼んだからだよ。俺が、ユキのことを本気で蹴りたかったから」

 そう言うと、ユキは信じられないと言いたげに目を見開いた。シロはそのまま続ける。

「力を貸してもらうよう頼んだのは昨夜だけど、二匹が来たのはさっき。ユキがいつも帰る時間を教えておいたから、それに合わせて来てくれた。だから泊めたわけじゃない。なぜ二匹をうちに入れたのかという質問に対する答えはさっきのと同じ。ユキを蹴り飛ばす手伝いを、してもらうために」

 言葉もなくシロを見つめるユキに、シロはただ事務的に説明する。

「ユキはホワイトタイガーで上位種だから、徹夜明けで疲れてるところの隙をついても両手で簡単にガードされると思った。だからボディがガラ空きになるよう、両腕を拘束してくれと頼んだんだ。もしユキが二匹を振り払おうとしたら、死ぬ気で押さえ付けてくれる手はずだった」

「……なんで」

 なんでそこまでして、と、ユキが呆然と呟く。それにシロはにっこりとした笑みを浮かべた。

「ユキに、腹を立ててた。ユキを蹴り飛ばしたかったんだよ、俺は」

 にっこりと笑うシロに反して、向かい合うユキの顔はどんどん歪む。

「なんで……?おれ、何かした……?」

 端正な顔を歪ませたユキにシロは、少し困ったような、それでいて泣きそうなようにも見える奇妙な苦笑を浮かべた。それからユキの袖を、つん、と掴む。

「なぁユキ。俺はユキに好かれてるから、ユキのそばにいていいんだよな……?」

 今更過ぎる問いかけに、そして、そうでなければそばにいてはいけないとでも言いたげに響く言葉に、ユキはカッと頭に血が上る。

「何言ってんのシロさん……。そんなの、何度も……何度も、大好きって、愛してるって言ったじゃん!」

 何故そんな許可を求めるようなことを言うのかと吐き出したユキに、シロはぎゅっと唇を噛んで俯く。再び顔を上げた時、シロの目には涙が浮かんでいた。驚いて凝視するユキを、シロは潤んだ瞳で睨めつける。

「なら、なんでユキに好かれてもいない奴が、ユキのそばにいられるんだよ……っ!?」

 声を荒げて怒鳴ったシロに、ユキはさらに大きく目を見開いた。思わず言葉を失ったユキを睨みながら、シロは言葉を続ける。

「ユキの番いじゃないかとか……ユキと特別親しいとか……、そんな評価を、どうでもいい奴が受けるなんて、ユキがよくても俺はやだ」

 ユキを睨む目に浮かんだ涙が少しずつ量を増す。少しずつ少しずつ溜まってこぼれ落ちそうなほどまでに涙を溜めた瞳に、思わず手を伸ばしたユキを払いのけて、シロはなおも言葉を紡いだ。

「ユキと一番親しいのは、俺だもん。ユキの、……っ、番いは、俺だもん!ユキが、他に、す……っ、好きなひとが出来たっていうならっ……仕方ないと、思うけど。でもそうじゃないなら、“ユキの番い”も“ユキと特別親しいひと”って評価も、俺は誰にも譲る気はないよ!」

「シロさん……」

 言いながら涙が次々に溢れる。シロの碧色の瞳からこぼれ落ちた雫は、細い顎を伝って床にぱたぱたと音を立てた。

「……っ、だから、勝手に……っ。勝手、に、……好きでもない、相手に……っ、それを、渡さないでよ……。そんな評価、っ……くらい、……。……俺に、独占させてくれたって、いいじゃん……っ」

 シロは、どうがんばっても自分が“ユキに相応しい”とか“お似合い”という評価を得られないのを知っている。どんなに望んでも、ユキがシロのような三角の耳を手にできなかったのと同じように、シロも上位種になることはできないし、エリート官僚になることもできない。
 だからせめて、ユキと最も親しくて、愛されているのは自分だということだけは誰にも譲りたくない。
 そう泣きながら訴えたシロをユキは力いっぱい抱きしめた。肩を震わせて嗚咽を漏らす身体を腕の中に閉じ込める。そうして腕の力をゆるめずに、胸に抱いた頭を掻き混ぜた。

「……わかった。もう報復目的で相手に近づいたり、わざと親しげにして見せたしない」

 ユキのそのようなやり方をシロが嫌っているのは知っていたが、これまでは何度話し合っても喧嘩をしても平行線のままだった。
 シロはそれを理解できないと言い、ユキは自分のやり方のメリットとシロの直裁的なやり方のデメリットを述べるだけで、意見が重なり合うことはなかった。話し合うたびにお互いどんどん頑なになって、“認められない”の一点張りになっていったというのもある。
 けれどユキはこの日、あっさり持論を放棄した。すんすんと鼻を鳴らして嗚咽を堪えるシロを抱き、その首筋に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。大好きな、一番大好きで大切なひとの匂いを肺一杯に吸い込む。

「これからは、思った通りを口にして態度にも出すよ。気に入らない奴は、全員その場で再起不能になるまで叩きのめす」

「ちょっと待て。それは違う。それは頼んでない」

くぐもった声で告げたユキに、シロは慌てて顔を上げる。驚きのあまり止まった涙が最後に一粒、ぼろりと落ちる。
 自分の首からユキの頭を引き剥がそうとするも、ユキはそれに応じなかった。あまつさえカプリとシロの首を甘噛みする。

「っ、ユキ!」

 咎めるように呼んだ声にもユキは顔を上げない。シロの首筋に顔を埋めたまま、くぐもった声を出した。

「俺が大事なのはシロさんだけだよ。シロさんが良ければそれでいい。シロさん以外なら誰が泣いても構わない。……ねえシロさん、ずっと俺の一番でいて。ずっとそばにいて。大好きだよ、愛してる。シロさんだけを愛してる」

 もぐもぐと曇った声で言いながら、何度も何度もシロの名を呼ぶ。意志を変えるつもりのなさそうなユキにシロがため息をつき、説得を諦めたしばらく後で、小さな小さな声でユキは一言、ごめんなさい、と言った。
 それを聞いたシロは、急に力が抜けるのを感じる。

 昔のユキは、ごめんなさいが出来ない子どもだった。
 幼少の頃からすば抜けて優秀で、また両親共に早くに亡くしてしまったユキは、日常的に叱られるという経験がなかったために、怒られた時に自分が悪かったことを理解出来ても言葉に出してそれを認めることがなかなか出来なかった。
 眉間にシワを寄せて、大きな瞳に涙を溜めて、悪いことをしたと反省しているのはありありと見える態度なのに、ごめんなさいの一言がどうしても言えない。言ってしまった方がいっそ楽だろうに、ぎゅっと唇を噛んで耐えるユキに、シロは何度も何度も言い聞かせて自分からごめんなさいが言えるまで根気強く待った。

 ──まったく……。

 愛してるとか、シロさんだけだとか、歯が浮くようなセリフはあっさりと言える癖に、まだごめんなさいが苦手なのか。シロは少し呆れる。けれど外では完璧人間であるに違いないユキの欠点を、一番よく知っているのは自分だと思うと、その欠点は早く直して欲しいと思う反面でほんの少しだけ、気分がよかった。
 そっと手を伸ばしてユキの耳の後ろを撫でてやる。ユキは顔を上げないまま、実に嬉しそうにごろごろと喉を鳴らした。

   +++

 数日後、ディーノにやってきたアオは、ユキが、上司部下同僚問わず誰に対しても毒舌丸出しになって大変恐れられている旨を報告した。聞いた途端に酷い頭痛がして、頭を押さえたまま物も言えなくなったシロに、けれどアオは、

「でもそのお陰で、話しかけやすくなったひともいるみたいですけどね。はっきり言ってくれた方がありがたいって」

 と言って、にこりと笑った。
 ぱたぱたと振られるしっぽが褒めてくれとシロに訴えている。

「ありがとう、アオ」

 なんだかんだ言いつつユキを心配してくれているらしいアオに、そう言って笑いかけると、彼はしっぽを膨らませて満面の笑みを浮かべた。

 ──可愛い……。

 一見すると、飄々としていて捉えどころのない“冷めた都会の子”なアオなのだが、何度も食べに来てくれて話をするうちに、すっかり懐かれた。

 ──都会の子って警戒心が強いのかと思ってたけど、そうでもないのかなー。

 クロがアオを引っ張って裏に引きずり込み、『マジでユキさんに殺されるぞお前』などと忠告していることも知らず、シロは、ぼんやり首を傾げる。
 そんなシロの思考を遮るようにドアベルが鳴り、ディーノに新たな客が来たことを告げた。

うそつきの言い分 <完>

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