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■ うそつきの言い分 6

 7つも年下の二匹を前にして感情を剥き出しにするのはみっともないと思ったから、あえて本妻ぶって何も気にしてませんという態度を貫いてはみたものの。内心、シロはかなり苛立っていた。それはもちろん、他のひとと番いに間違えられるような外面のいいユキに、である。

 ──むかつく……!

 シロは、雑種の白猫でしかない自分がユキの番いとしては見劣りするのを承知している。だから、『所詮はあんなの“愛人”だろう』、『そのうちユキさんもちゃんとした上位種を番いにするよ』と陰で言われているのも知っている。そのこと自体は気にしても仕方が無いから気にしない、と努めて割り切っているのだが、でもそれは周囲の根も葉もない誹謗中傷ならばの話で、当のユキ本人がほかのひとと親しくしているというのは聞き流せる話ではない。
 しかも、実は嫌いだから親しくしているんですと言われるとどうにも対処に困るし、正直、その行動と心情が一ミリも理解できなかった。

 ──嫌なら嫌ってはっきり言えよ、ばか!

 シロは不快な思いをしたらそのような行為は不快だとその場ですっぱりはっきり言う方だ。それは知り合い相手でもそうだし、あまりよく知らない他人ならなおのことそうである。だから、街を歩いている時や他の店に敵情視察に行った時などに見知らぬひとに声をかけられることもあるけれど、いつもはっきりNOと言う。
 それに対してユキは、よほど親しいか気を許している相手でない限り不快に感じてもそれを表さないし、その癖、不快に思ったことを決して忘れない。笑顔の裏でそれをずっと根に持っていて、そのうさを晴らす時を虎視眈々と狙っているのだ。
 そのようなユキの考えもやり方も、シロには合わないし理解できない。

 今回はどうやら、気に入るとか気に入らないとか、好きとか嫌いとかそんな個人レベルの話ではなく、中央機関内部の派閥問題に大きく関わっていて、その内部腐敗を洗い出すためにわざと煽るような行動に出たらしいとアオに聞いたけれど、だからといって他にもきっと方法はあったはずで、許す気分には到底なれなかった。
 次の営業日のための仕込みのために、先程からディルをちぎっているのだが、ちぎってもちぎってもすっきりしない。ちぎり続けてディルの小山ができたところで「シロさん、ただいま帰りましたー!」という明るいアオの声と、それに舌打ちしながら同じことをぼそぼそと呟くクロの声が表から聞こえた。

「おかえり。わざわざありがとね」

 イライラした気分を振り払って、営業後で疲れているというのに買い出しに行ってくれたクロをねぎらう。たまたま居合わせただけなのに、これまた荷物持ちとしてクロについて行ってくれたアオにも同じ言葉をかけると、アオは嬉しそうに鼻をうごめかせる。

「アブサン、無事譲ってもらえました」

 丁寧な手つきで渡してくれるクロに軽く頷く。アブサンはアニスとニガヨモギなど6種類のハーブを用いた香りの強い蒸留酒で、ディーノでは比較的よく調理酒として用いるが、アルコール度数70%を超える高濃度の酒であるためにマーケットでは扱っていない。
 普段は一週間以上の余裕を持って酒屋に注文しておくのだけれど、うっかり切らしてしまったシロは、クロとアオに、知り合いのバーテンダーのところへ譲ってもらえないか頼みに行ってもらったのである。

「さっすがミドリさん……いいの入れてんなぁ……」

 クロから受け取ったボトルのラベルを眺めていると、隣からアオが興味深げに覗き込んでくる。

「本家の復刻バージョンだ。アルコール度数が86%もあるやつ」

 そう言って見せると、アオは興味津々といった様子でボトルを見る。怪しげな目玉がこちらを見つめてくるラベルイラストをじっと眺めた。

「うちでは調理酒としてしか使わないけどね。イカみたいな生臭いものをこれで炒めると、ハーブの香りが付いて味わいが変わる。けどこの復刻版なら、純粋にお酒として飲んでもきっとおいしいよ」

 飲んでみる?と尋ねると、アオはコクコクコクコクと首振り人形のように頷き、クロもキラリと目を光らせて頷いた。
 若い二匹には少し薄めた方がいいだろうと、小さなグラスに少量注ぐ。それからティースプーンにも垂らし、その上に角砂糖を乗せて染み込ませた。不思議そうな顔をする二匹に微笑みかけつつ、ライターで素早く着火する。

「おお……っ……」

 白い角砂糖を青紫の炎が包み込む。揺らめく炎の中で、数秒後には角砂糖が溶け始め、熱されたホワイトムスクがフリージアの香りに変化し始める。頃合いを見計らってミネラルウォーターを注いで消火し、そのままグラスをかき混ぜた。
 水を加えると、薄く緑色を帯びた透明の液体だったアブサンは一気に白濁する。後に残るのは、揺らめく熱の名残と冷めたアニスの香り。

「どうぞ、お客様?」

 グラスを二匹の方へ押し出しにっこりと笑うと、二匹は揃ってごくりと息を飲んだ。

「かっけー……シロさん、俺惚れそう!」

 しっぽをブワッと膨らませて、興奮を抑えきれぬ様子でアオが言う。隣でクロは無表情のまま、だがわずかに耳をぺたりと伏せて、鼻息を荒くするアオを肘でつついた。

「ありがとう。癖の強いお酒だから、最初は少しだけ口に含むようにした方がいいよ。一気に飲むと喉が焼かれるから」

 そう忠告すると、恐る恐ると言った様子で二匹はグラスに口をつける。そして次の瞬間、二匹のしっぽがピンと立った。プルプルと身体を震わせながら目をぎゅっとつぶって耐えるアオと、少し青ざめた顔をしつつもゴクリと飲み込んだクロ。

「っあー……。飲めなくはないけど、かなりキツいですねこれ」

 感想を述べたクロの隣で、アオはまだ口も聞けずに悶えていた。少しすると椅子からおもむろに立ち上がり、けれど青い顔をして自らのしっぽを追うかのようにぐるぐると回る。

「どうやらクロは耐性がありそうだね。中毒にならないように気をつけてね」

 そう声を掛けると、ぎょっとしたように目を見開く。

「中毒性あるんですか、これ!?」

「ひとによってはハマっちゃうみたい。実はミドリさんもそのクチ」

 首都の裏路地に佇むバー・スピールトのバーテンダーのミドリさんは綺麗な羽の青鷺で、中性的な容姿をした年齢不詳のお兄さんだが、実はかなりのアブサンマニアである。かつてのレース・プーブリカでは禁酒されていた時代、それを飲むためだけに国境を越えたというのだから相当だ。そんな話をすると、クロは珍しく不安げな顔をしてグラスを遠ざけた。

「あー……やだこれ、もう絶対飲まない!」

 ミネラルウォーターをガブガブ飲んで、ようやく回復したらしいアオはテーブルに戻ってきてぺたりとへばりつく。辟易とした様子の二匹を笑いつつ残りを飲み干したシロは、それでも何だかんだと感想を話し合っているクロとアオをぼんやりと眺めた。
 とろりとアルコールが身体に沁み渡るのを感じる。ユキは自分がいないところでシロが酒を飲むのを嫌うため普段は禁酒を言いつけられていて、飲酒自体がかなり久しぶり。懐かしい、くらりとする酩酊感に少し気分が高揚した。
 ふわふわした気分の効用か、ふと頭に一つの思いつきが浮かぶ。それを二匹に話して協力を要請すると、二匹は顔を見合わせた後で存外あっさりと了承した。
 アオはにっこりと笑ってシロに言う、「そんくらいしてもバチは当たらないと思いますね」。
 そしてクロも、「とばっちり食う前に帰らせてもらいますけど」と言いながらも協力を約束してくれた。

 

 


 翌日。昼近くなった頃、シロとユキの家の玄関の鍵がカチャリと軽い音を立てて静かに開いた。

「ただいまー……。シロさん……?」

 徹夜明けの顔色の悪さをそのままに、力ない足取りで玄関をあがったユキは、シロの姿を求めてふらつきながらリビングに向かう。ユキが泊まり込みで仕事をしなければならない日の翌日は、いつもシロは出勤時間をギリギリまで遅らせてユキの帰りを待ってくれている。特に今日はディーノの定休日だから、リビングで二匹で食べるための昼ごはんを作りながら帰りを待っていてくれるはずだった。
 仕事だから仕方ないとはいえ、毎月一回ある泊まり込み業務は心身共に疲れる。シロを抱きしめて匂いを嗅ぐことでささくれ立った気分が落ち着き、癒される……というより、それでしか気分の安定と疲労の回復を図れない自分を知っているユキは、今にも倒れこみそうな足を踏ん張ってひたすら歩を進め、リビングへと続くドアを開けた。しかしそんなユキを迎えたのは、彼の最愛の番いではなく。

「…………え?」

 リビングに踏み込んだ途端に、両腕をがしりと拘束される。動かない身体に驚いて見れば、ユキがリビングに来るのを待ち構えていたらしいクロとアオが両側から全力でユキの腕を押さえ付けていた。

「クロと、アオ?」

 なんでうちに、とユキが問うより早く、音もなく馳せてきたシロが片脚を振り上げる。
 え? と呟き、まだ状況を理解していないユキに、助走の勢いを殺さず遠心力も加えてシロは回し蹴りを食らわせた。

「っ!」

 ズドン、と鈍い音がするほどに容赦のない一撃を食らったユキは、わずかに背を丸めたが、しかし胃液を吐くようなことにはならなかった。蹴りをユキのみぞおちに命中させたシロも、その態勢のまま動かない。
 ユキの左腕を押さえていたアオが、ぴょこ、と身を乗り出してユキの腹を覗き込んだ。

「うっわ、腹筋で止めてる……まじかよ。絶対、内臓直撃コースだと思ったのに」

 ユキの右腕を掴んだまま、クロもまた覗き込む。

「予想以上に反射速度が速かったな……徹夜明けでフラフラだったのに」

 そう言うとあっさりユキの腕を解放する。それに倣ってアオもユキの腕を離し、そばの椅子に掛けてあったジャケットを手に取った。

「じゃあ、俺らはここで」

「お邪魔しましたー」

 とばっちりを食う前に帰る、と言った宣言通りあっさりと背を向ける。バタン、と音を立てて玄関の扉が閉まり、家にはユキとシロだけが残された。
 そろり、と脚を引こうとしたシロの足首をユキの手がガシッとつかむ。

「いっ……つ」

 実は腹筋で止められてしまったために脚にジンジンとした痛みが走り、それに耐えるのに必死だったシロは、足首を掴まれて顔を歪めた。
 ゆっくりと顔を上げたユキは、こめかみに青筋を立てながらにっこりと黒い笑顔を浮かべる。

「シロさん……?」

 穏やかそのものの声でシロの名を呼ぶ。だがそれは非常にわざとらしくて、不気味なことこの上ない。

「なんで、俺蹴られてんの……?てか、なんでうちにクロとアオがいたの……?あいつら入れたの、シロさん?もしかして昨日の夜からいたとか?泊めたの?この家に?俺がいなかったのに?なんで?どうして?てかなんであいつらシロさんに加勢したの?アオとはいつ親しくなったの?ねえなんで?どうして?」

 口火を切ったら止まらなくなったユキを、シロはまっすぐ見つめ返した。

「まずは手を離せ。痛い」

 そう淡々と告げたシロの言葉に、ユキは手に力を込めてしまっていたことにようやく気づく。ユキが足首を掴んだシロの脚は、血の気を失って真っ白になっていた。
 ゆっくり力を抜いて手を離すと、シロは脚を下ろしてからトントンと床を打ち鳴らして調子を見る。それからもう一度、まっすぐな目でユキを見つめ返した。

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