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■ 贈り物に愛を添える 2

 シロがトキと出会った最初は単純で、こんな辺鄙な田舎町にわざわざ店を構えたという物好きな狼が作る料理というものを食べてみようと思ったシロが、ディーノを訪れたからだった。
 さして期待はしていなかった。
 シロは別にグルメなわけでも舌が肥えているわけでもないけれど、ど田舎に選り好んで店を出すなんて都会でやってけない程度の腕なんだろうと思っただけだ。要するにただの偏見だった。
 けれどその憶測はいい意味で裏切られた。一口食べてすぐに、トキの料理は都会の一流店で出されたって誰も文句を言わないだろうことがわかった。事実、後から聞いた話では、トキは老舗名店のシェフにと誘われていたのだそうだから。
 けれどそれを蹴ってまでこの町で店を始めたのは、彼のこだわりのためだ。曰く、「なんで昨日も今日も明日も明後日も、同じ味じゃなきゃいけないんだ」という。
 その日の天候・温度・湿度・気分によって料理は変わるし、食べる側が受け入れやすいものだって変わる。料理は獣やひとと同じ“生き物”だから、とトキは言う。なのに、その店の定番だの看板メニューだのと言って、毎日毎日同じ味の同じ料理を作らされるのはうんざりだ、と。
 だからディーノのメニューは毎日違う。それは食材の入荷状況によって変わるというだけではなくて、同じ入荷品目でもトキの気分によって料理は変わる。ひどい時には一日の中でさえムラがあって、シロがウエイターとして勤め始めてからも何度か、材料はまだまだあるのに「あーそれはもう完売」などと適当なことを言って客を断ることがあった。
 断ると言っても本人は厨房から指図をするだけで、実際に客に平身低頭謝るのはシロなので、シロにとってはたまったものではない。けれどそうして作り出されるトキの料理は間違いなくおいしかったから、最後には客も納得してくれた。
 そんなトキの料理に魅せられて、毎日変わる料理を楽しみに通い詰める客がディーノ利用者の大半を占める。シロも最初はその中の一匹にすぎなかった。


 友達が一匹また一匹と町を出る中で、五年前のシロは、自分もここを出るべきかと悩んでいた。
 この町にいても働き口がない。だからいずれはここを出て都会に行くしかないのだけれど、当時のシロにはユキのように他者よりも秀でたものなど何もなかったし、また何がしたいのか何が好きなのかも考えれば考えるほどわからなかった。

 ──あえていえば、昼寝は好き……。

 けれどそれが将来性に繋がるわけはもちろんなく、出て行ったまま帰ってこないユキのこととか、両親のことや亡くなったユキのお父さんのことなどまで考えを廻らして、より一層悩みが深まる。そんなシロを友達は「他人のことを考えすぎ」と評したけれど、じゃあ自分の気持ちはと最初の悩みに舞い戻ってみると、やっぱりそれもわからないのだった。
 当時ディーノはトキ一匹で回していて、そのため座席数も今の半分くらいしかなかった。そして三時から六時まではきっちり休む。腹を空かせた客が並んでいても気にしない。だから二時以降になった場合は諦めて六時まで待った方が……というより、そうしないと空腹で放り出される可能性が高かったから、その日、シロは六時の営業再開を狙ってディーノを一匹で訪れたのだった。
 さすがに時間が早いことと、たまたま雨の日だったこともあって、客はシロだけだった。壁の看板に乱雑に記されたメニューを一通り眺めてから厨房に声をかけて注文する。だが出てきたものは、頼んだものとは違った。

「あの……おれ、ピッツェリアを頼んだはずなんですけど……」

 聞き間違いかと思って料理を運んできたトキに言うと、彼は無表情のまま頷いた。

「うん、そう聞いたけど。でもこれ新作なんだ。食べてみて」

 そう言ってあっさりと厨房に戻る。ディーノのオーナーシェフの変わり者ぶりは聞き知っていたけれど、さすがに頼んだものと違うものを出されたのは初めてだ。困惑するシロを他所に、彼は厨房で黙々と作業をしている。
 なんだか不本意な気持ちを抱きつつもフォークを手にする。皿の上には、丸く形作られた黄色いもの。正体は恐らくたまごだろう。ナイフを入れると思いの外しっかりとしていたが、中からほろほろとした芋がこぼれ出てきた。
 小さく切り分けて口に運ぶ。たまご特有の優しい味が舌よりも胃に染みる気がして、こくん、と丁寧に嚥下した。一口食べただけで何故か放心してしまう。自分の胃から、飼い馴らされた獣がゴロゴロと喉を鳴らすような音がした。

「おいしかった?」

 一口一口、ゆっくりと食べていたシロがようやく食べ終わったのを見て取って、トキが厨房から出てきた。客と談話などしないトキが珍しく話しかけてくれるのに目を見張りつつ、コクリと一つ頷く。それを見て彼は少しだけ目尻を下げた。そうすると、近づきがたい印象の狼が少しだけ犬っぽくなる。

「君、真っ青な顔してたからさ。ピッツェリアはきついんじゃないかと思ったんだ」

「真っ青……?おれ、そんな顔してました……?」

 その自覚はまるでなかったので、目を丸くしてそう尋ねると、彼は慰めるでもなくからかうでもなく真面目くさった顔で頷いた。

「してたしてた。今から猛獣の餌食になるので、これが最後の晩餐ですって顔」

 思わず手でぺたぺたと自分の顔を触る。けれどどんな顔をしているのかは、自分ではさっぱりわからなかった。
 誰かに殺される予定はない。単純に自分の身の振り方に悩んでいただけなのに、そんなに切羽詰まった顔をしていたのかと思ったら急に恥ずかしくなる。だがそれでやっと肩の力が抜けた。

「そんなんじゃないんですよ。ただ、これからどうしようかなぁっていう……ありがちな悩みです」

 その時彼は少し変な顔をしただけで何も言わなかった。後々、『あの時実は、“ありがちな悩み”って言えちゃうあたりがよくないなと思った』と明かしてくれたのだけれど。
 でもその時のトキは、シロの話を一通り聞いてから、一言『働き口がないのが問題なら、ここで働けば?』と言って、さして心配した風でもなかったが、その何でもないような物言いがが逆にシロの気持ちを安心させた。


 以来トキはシロを雇い、決して多くはないけれど少なくもない給金を毎月くれる。
 そうして長らく、オーナーシェフと雇われウェイター兼シェフ見習いという関係を紡いできた。その二匹が、それだけではない関係に陥ったのはつい最近、わずか半年前のことだ。
 そもそも感情が露出しやすいシロの好意を、それまでトキが気づかなかったはずはない。トキというひとはそこまで鈍感ではない。そしてシロの方も、トキの優しさの奥底にある感情をずっと前から知っていた。
 だからシロにとっては、新メニューを一緒に考えてみたり料理を教えてもらったり、または全く関係のない雑談をしたりするうちに積み重なっていく思いと裏腹の、クリアな関係が四年半もよく続いたなという思いの方が強い。もっと早くに距離が縮まっていてもおかしくはなかった二匹が四年半もの間そうならなかったのは、ひとえに面倒ごとが嫌いで、飄々としている割に意外と真面目なトキの性格ゆえだろう。
 そんなトキだったから、身体の関係ができてからもオーナーシェフと雇われウェイター兼シェフ見習いという関係において、彼の態度は全く変わらなかった。だからこの町で二匹の関係について気づいているものはいない。
 二匹の間において変わったのは、営業終了後にシロが家には帰らずトキのベッドにもぐり込むようになったことと、ベッドの中ではトキのしっぽがシロの身体にゆるりと巻き付いてくるようになったことくらい。普段は力なく垂れたままの毛束は、ネコ科の動物のものよりふさふさとしていてあたたかい。それにくるまれるとシロの気持ちはふわりと綻んだ

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