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■ きみを縛れたためしがない 3

「なーんか、クロってちょっと冷めてるよなー」

 ディーノの営業を終えて帰宅した家で、シロは眉間にシワを寄せる。ベッドの上にばふんと飛び込んで、しっぽをゆらゆらと動かした。制服を脱いでシャツだけになったユキが、そんなシロの様子に首を傾げる。

「クロが、なんだって?」

 シロの傍らに同じくぱふっと音を立てて横になり、シロの腹に頭をこすりつける。ごろごろと喉を鳴らすユキの眉間から頭を指の腹でこすってやる。そうするとユキの耳は嬉しそうにピクピクと動いた。

「なんか妙に割り切ってるっていうかさぁ……まだ18だろ?悩んだり考えたり迷ったりっていう時期だろうに、そういうのが見えない気がして」

 満足げなユキを見つめながらそんな話をすると、ユキはぱちりと目を開いて、その青い瞳をシロの方に向けた。

「まぁ、この街の子だしね。自分の器や限界っていうものに直面するような経験を何度も積み重ねてきたんじゃないかな」

 言いながら、シロの腹にきゅっと腕を回してくる。数センチの距離もない近さから、じっとシロの顔を見上げた。

「首都で生まれ育つって、そーゆーもん?」

「それぞれの生き方や環境によって異なるから一概には言えないけれど、そういう面はあると思うね。この国を動かしている軍・政府・機関、全ての本部がここにはあって、その部内者でこの街は成り立っている。でもそんなのは、国全体の人口からしたら一割にも満たない。……国を動かす一割弱になるのか、それとも誰かが築いた安寧の中で暮らすことを望むその他大勢になるのか。それが可能か、不可能か。それをずっと意識して生きてきたんだと思うよ。ここで生きてきたならね」

 じっと見つめてくる青い目の向こうで、ユキのしっぽがぱたぱたと動く。
 国を動かす一割になるのか、その他になるのか。また一割の側になるとして、それができるのかどうか。
 二年前まで田舎で暮らしていたシロは、そんな選択を迫られたこともないし意識したこともない。

「俺は、誰かが作ってくれた平和の中でのんびり生きていければそれでいいけどなぁ。しなくていい苦労までしたくない」

「はは、シロさんはそうだろうね」

 あはは、と爽やかに笑い飛ばしたユキは、またシロにすり寄る。

「俺も基本的には、好きなひととのんびり生きていけたらそれで満足なんだけど。でもそれじゃあ、大切なものを守れない場合もあるから」

 シロに撫でられて幸せそうなユキの顔。シロにはこうして、初めて会った3つの時から変わらない可愛い顔を見せているけれど、でも同時にこれは、国を動かす一割になると決めてそしてそれを成し遂げたオスの顔でもある。
 悔しいけれど、いい男だと思う。色んな獣種のメスからも、きっとオスからもめちゃくちゃモテるんだろう。これでモテないわけがない。
 そんなユキを見ていると、立派な成獣のオスの顔をしている彼を誇らしく思う一方で、知らない間に大きくなってなってしまったことを少しさみしくも思う。
 ユキはいつもシロに甘えているように見せながら、実は本当の意味でシロに甘えたことなど、遠い昔に“丸耳”でいじめられたあの時以降ない。

 あの一件以来、ユキは全てを一匹で決め、それを成し遂げてきた。
 エリート校の選抜試験に応募した時だって、受験票が届いて初めてシロはユキが出願していたことを知った。受験にかかるお金だって貯めたお小遣いから支払っていて、合格してからも入学金やら授業料やらは免除されるよう手はずを整えていて、何一つ、シロに相談もなければ手伝わせてもくれなかった。
 学校にいる時も、電話やメールでは明るい声で楽しかったことや面白かったことを話してくれたけど、悩みを相談されたり弱音を吐かれたりしたことは一度もなかった。そして気が付いた時には就職も決めていて、二匹で住む家まで決めてからシロを迎えに来た。
 聡いユキのすることだから、シロが反対したり嫌がったりするようなことは最初から除外されている。シロが望むようなものが望む状態で過不足なく整えられて差し出されるので、それは“誰かが作ってくれた平和の中でのんびり生きていければそれでいい”シロの望みにかなっている。だから不満なんてものはあるはずがないのだけれど、……でもいつも少しだけ、さみしくて悔しい。
 ユキの首に腕を回してその厚い耳をガジガジと噛むと、ユキはちょっとびっくりしたような声で「どうしたの、シロさん」と聞いてくれた。猫がいくら歯を立てたところで、虎に傷など付けられないことはわかっている。けれど一矢報いたくなって、えいっとばかりに牙を立てた。けれど猫の短い牙は長い毛に邪魔されて虎の肌までは届かず、ユキの長い指でヨシヨシと慈しむように頭を撫でられる。

「あ、シロさん、お風呂たまったよ」

 ピピッという軽い電子音が響き、浴槽に湯がたまったことを知らせる。ユキに手を引かれて風呂場に導かれながら、シロは口をへの字に曲げた。

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