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■ きみを縛れたためしがない 6

 ガシャン、という大きな音に、まず最初に身体がびくりと反応した。

 それから慌ててフロアを覗き込んだシロの目に、とっさに客をかばったらしいクロの背中と、砕け散ってガラス一枚残っていない窓枠が映る。
 窓ガラスが割れた。客が怪我をしたかもしれない。
 その二つが真っ先に頭に浮かび、なんで、とか、どうして、などという疑問は後回しになった。

「大丈夫ですか!?」

 営業開始直後だったこともあって、店にいたのは二組だけ。しかも一方は奥のソファ席を希望していたため難を逃れ、もう一方は窓際だったが、ちょうどサーブ中だったクロがかばったお陰で怪我一つなかった。
 ひたすら頭を下げ、ガラスの飛び散っていないところを選んで誘導し、客を退店させる。途中、シロの視界の端に白黒の丸いものが映った。サッカーボール。ディーノにあるはずのないそれが、この惨事の原因であることは明白だった。一瞬にして怒りが沸き上がる。視線を走らせた窓の外には、子ども一匹見えない。

 ──っ、ざけんな……!

 表に飛び出して、投げ込んだ奴を見つけて締め上げたい気持ちをぐっと堪える。シロはクロと共にひたすら慇懃な態度で二組の客を外へと誘導し、頭を下げて彼らを見送った。
 地面を見つめて頭を下げている時も、ギリギリと歯噛みしたくなるのを抑えられない。客の姿が見えなくなるのを待ってから顔を上げる。同じタイミングで頭を上げたクロが隣で苛立たしげにため息をついた。

「投げ込んだ奴、見たか?」

 端的なシロの問いに、クロは眉間に刻んだ皺を深くする。

「見てません。……上から落ちて来たんですよ、あれ」

「………は?」

 目を丸くするシロに、クロは不機嫌そうな表情のまま空を差す。

「上から落ちて来て、そこの傘にぶつかってバウンドしてから、うちに飛び込んできたんです」

 そこの、と言いながらクロが指し示したのは、向かいのカフェのオープンテラスのパラソル。奇妙な角度にひしゃげているそれは、今朝までは確かに何の異常もなかったはずで、上からの大きな衝撃を受けたというクロの説明とも合致した。
 こっちは窓ガラスが割れる騒ぎにてんやわんやだったが、向かいは向かいで、ひしゃげたパラソルの周りに店員が集まってあたふたしている。

「……空からサッカーボール?」

 見上げた空は高く青く、鳥影一つ見当たらない。初秋のこの時期、サンタクロースが子どもたちに届ける途中でうっかりソリから落としたというわけでもないだろう。

「ったく迷惑な……。クロ、災害申請出すぞ!」

 災害申請と同時に捜査要請をして、空軍に動いてもらわねばならない。明らかにこちらに非のない偶発的事故であるから災害助成金は問題なく下りるだろうが、もしも愉快犯の犯行ならば再び繰り返される可能性もある。
 レース・プーブリカ共和国空軍、通称アエーレアは、鷲や鷹、鳶、コンドルなどの鳥の上位種によって構成されている。はるか数千メートル上空まで飛翔できる彼らに睨みを効かせてもらえば、案外簡単に犯人は見つかるかもしれない。
 携帯端末から軍本部への申請書類を呼び出しつつ、店内に足を踏み入れる。現状説明のために写真も撮っておこうかと思ったところで、シロは、さっきまでそこにあったはずのサッカーボールが見当たらないことに気がついた。

「あれ……?」

 突然立ち止まったシロの背中を、後ろからクロがつつく。

「シロさん、早く入ってくれませんか。血が出てきた」

 客をかばった時にガラスの破片で腕を切ったらしい、左腕のシャツに赤い染みが出来始めていた。

「あぁ……うん、二階に薬箱あるよ……」

 身体をずらしてクロを中に入れる。彼は器用にガラスを避けながら二階へ続く階段の方へと向かう。
 首を傾げつつ店内を見回していたシロだったが、厨房との仕切りのところに丸い白黒を見つけて、あったあったと一人ごちる。携帯端末を再び掲げてピントを調整した画面の中で、それがモゾリと動いた。

 ──ん……?

 画面を覗き込むシロは、同時に、その丸いものがサッカーボールのように六角形を組み合わせた模様をしていないことに気づく。端末を下ろし、目を凝らす。近視気味の猫の目にも、それがふかふかと毛羽立っていることは容易にわかった。
 む、と知らず口をへの字にしたシロの目の前で、またそれはモゾモゾと動く。やがて恐る恐るといった様子で顔を出した。
 ぴょこん、と飛び出してきた丸い耳。身体を抱える白黒の手。シロを見上げる目は黒く、潤んでいた。

「パンダ……」

 背中を丸めて縮こまっていたらしいそれは、まだ小さく幼い、パンダの子どもだった。

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