■ きみを縛れたためしがない 8
レース・プーブリカ共和国は象徴として、二つの頭を持つ鷲を掲げる。それはかつてのレース国とプーブリカ国が合併して、一つの共和国となったことを証立てるもの。
ゆえに国営機関は全てこの双頭の鷲を旗印に戴く。軍部及び法執行機関は赤地に国章、行政府及び立法機関は青地に国章、司法機関及び裁判所は緑地に国章といった具合に。
その色系統によって指揮系統も示されるので、全ての機関は赤・青・緑のいずれかの旗を負い、またその色の制服を着る。地色は上級機関になればなるほど濃く、下級機関になればなるほど薄くなるが、それ以外の色は許されない。だから黄地や白地の機旗というのは存在しないのだ。
しかしただ一つだけ例外がある。レース・プーブリカ共和国中央機関、通称リーネア・レクタが掲げる機旗の色は黒。いずれの機関の指揮系統にも所属せず、何者の干渉も受けずにその権力を行使できることの証として、何者にも染まらぬ色を負うのである。
そして今、クロとシロはまさにその黒旗の下で門前払いを食らっていた。
「お約束のない方からのご面会のお申し出は、お取り次ぎできかねます」
ユキを訪ねた二匹に、受付にいたワニの紳士は口許に笑みを貼り付かせたまま告げた。紳士の表情は穏やかだったが、爬虫類独特の瞳孔の細い目はちっとも笑っていない。
シロが、すすす……っと自分の背後に隠れたのを憎らしく思いながら、クロはもう一度ワニ紳士の顔を見上げた。
「伝言だけでもいいんです。彼の店のことで相談があると言っていただければわかります」
食い下がるクロに、ワニ紳士は瞬きさえしない。そうして、彼が何度となく来客に対し繰り返してきたであろうセリフを再び、一言一句違わずに吐いた。
「リーネア・レクタでは、どなたであろうとお約束のない方からのご伝言はお受けできません。ご面会のお約束をされてから、もう一度おいでください」
押しても引いても揺るがない彼に、クロは深いため息をついた。
「……だそうですよ、シロさん」
背後に隠れるシロに声を掛けると、彼はクロの陰から首だけ出して上目遣いで見上げた。
「アポなし訪問は、社会人としてはアウトだよクロ君」
身内なら入れてくれるんじゃない?などとのんきなことをのたまった癖に、他人事のように言う。子パンダ前に抱えてクロを見上げさせて、潤んだ瞳のダブル攻撃。せこい大人だ、と心底思う。
「……端末からユキさんに直接連絡しましょう。エヘールシトが気になるけど」
あんたが行ってみようと言ったんじゃないかと怒鳴ったところで、へらりと笑ってやり過ごされるのは目に見えている。そう思って淡々と返すと、シロは少しつまらなそうな顔をした。それを見たクロの溜飲も少しだけ下がる。
中央機関本部近くのカフェでコーヒーを頼み、端末を借りてユキに連絡をする。中央機関に逆探知されることは承知の上だったが、案の定、電話口に出たユキは開口一番冷めた口調で『店はどうした?』と言った。
「空から子パンダが降ってきて、店は半壊状態です。軍本部に連絡したら、空軍じゃなく陸軍が来ました」
店員にドレッシング抜きのサラダと水を頼んだ後は、子パンダとじゃれているシロを横目に見る。
『エヘールシトか』
唸るユキの声には感情が見えない。
「何かおかしいと思って、奴らに見つからないようにシロさんと子パンダと店を出たら、昨日のネズミの仲間に追いかけられました」
『……』
その後このカフェまで来た、というところまで語らなくてもユキならば察するだろう。そう思って黙り込む。落ちた沈黙を破ったのはユキだった。
『エヘールシトの方が厄介だな……。そっちには迎えを出す。それまで奴隷商人に捕まるなよ』
「奴ら、シロさんを追って来ますかね?」
その問いには、ユキは端的にしか答えなかった。
『別件だろう』
「……別件」
『ああ。だがシロさんごと一網打尽にされる可能性はある』
「……」
それ以上続けない様子から、詳しい説明を今する気はないのだと察する。黙り込んだクロに、ユキは少し声を和らげて『シロさんは』と尋ねた。
「ん、ここにいるよ」
子パンダと遊んでいたシロは、クロが視線を向けるとすぐに近寄って来て、端末に向けて子パンダに手を振らせる。音声回線しか繋いでいないからユキにその姿は見えないのに、にっこりと綺麗な笑みを浮かべた。
『シロさんが無事で、本当によかったよ……。迎えに行くから、それまでおとなしくしててね?危ない真似は絶対にしないで』
心配そうな、聞きようによっては不安そうにも聞こえるユキの声に、シロは素直に「うん」と答えた。
「この子とクロと待ってる」
しかしシロがそう言った途端に『この子って何』と低くなったユキの声に、クロは慌てて「パンダの子どもです」と口を挟む。
「まだすっごく小さいんだよ。言葉もしゃべれない。この子のお父さんとお母さん、探してあげなきゃ」
訴えかけるシロの言葉に一瞬ユキは黙り込む。何を考えているのかは不明ながら、『わかった。それも調べてみるよ』と答えた声は若干の柔らかさを含んでいた。そんなユキに、シロは満面の笑みを浮かべる。
「ありがと、ユキ」
見えない笑みを受け取ったのか、ユキが小さなため息をつくのが聞こえた。
『じゃあなるべく急ぐから』
その一言を残して、電話はプツリと途絶える。語らなくなった端末をシロは少しの間、じっと眺めていた。