■ きみを縛れたためしがない 9
子パンダは、シロが渡すサラダの葉っぱを片っ端からもしゃもしゃと元気に食べた。さすがに食べ過ぎじゃないかと思い、クロが残りの草を取り上げると、クロを見上げてきゅうきゅうと怒る。食べるだけ食べて満腹になると、またシロにしがみ付いて寝息を立て始めた。
「すっかり懐いちゃいましたね」
子パンダの頭を撫でているシロは、その言葉に少しさみしげな笑みを浮かべた。
「こんだけ懐かれると、手離したくなくなるよなぁ」
まあそういうわけにもいかないけど、と小さく続ける。
「ユキさんに、一緒に育てようって言ってみれば?」
シロの関心を引く相手を好ましくは思わないだろうが、なんだかんだ言ってもユキはシロに甘い。シロがねだれば子パンダの一匹や二匹、どうにかするのではないかと思ったが。
「ダメだ。ユキがもしもいいって言っても、それはダメだよ」
思いのほかきっぱりとした口調でシロは言う。
「子どもは本当のお父さんとお母さんの元で育つのが一番いいんだよ。もしも親を亡くしていたとしても、同族と暮らすのが一番いい。パンダの子は、パンダの子として育たなきゃ」
いつもはゆったりした物言いをするシロが、有無を言わさぬ口調で喋るのを珍しく思いながらクロは見つめる。
「そーゆーもんですか」
「そういうものだよ」
さびしそうな癖して、小さく呟く。
「この子にユキと同じ思いはさせられない」
「……?ユキさんと同じって……?」
だがその問いに、シロはただ薄く笑って見せる。含みを持ったその表情に、今日一日で初めて知ったシロの顔をまた一つ見つける。
「シロさんて、何者なんですか」
実は昔、リーネア・レクタに所属してました、なんて言うんじゃないだろうな。と、そんな疑いをもって発したクロの言葉に、シロは不思議そうに首を傾げた。
「猫だけど?」
「いや、そうじゃなくて。妙に場慣れしてるっていうか。さっきも、身体を動かし慣れてた気がして」
あっという間にビルの上まで跳躍した身体能力は、一般人というにはあまりに桁外れだ。そんな思いを読み取ったらしく、シロはわずかに眉を下げた。
「……あー。まあ確かに、都会のひとはあんま動かないか」
のんきな喋り方でそう言って、シロは子パンダの頭を撫でながら続ける。
「うちの地元はほんと田舎で、土地だけは無駄にあったから。追いかけっことか隠れんぼはよくしたんだよね。だから、そういうシンプルな遊びは結構得意」
だが、返ってきたのはそんな平和極まりない答え。
「……実は、何らかの組織に所属して暗躍してた過去があったりとかは?」
「ナイナイ。それはユキの領分じゃん」
ケロリと言い切る口調は淀みない。確かに秘められた過去などを作りそうなのはもう一匹のオーナーの方で、シロはそんな七面倒臭いことは嫌いそうに見えた。
「追いかけっこねえ」
呟いたクロに、シロは無邪気な笑みを浮かべる。
「クロはどんな遊びしてた?」
その問いに幼い頃の記憶をたどるけれど、クロはそもそも、そんなクラシカルな遊びをしたことがない。
この首都で生まれ育ったクロが就学時に一番熱中したことといえばプログラミングとハッキング。誰が一番高度なプログラムが書けるか、仲間たちで競い合い、またそれをハッキングしあった。クロは、攻撃は最大の防御と心得ている方だったから、攻略される前に相手方のハッキングに成功し、陥落させるのが得意だった。そんな自分を朧げながら思い出す。高等教育に進み、バイトをして稼ぐようになってからはそういった遊びからもすっかり離れてしまったが。
「……えーっと、陣取り合戦とか……?」
指以外の身体は全く動かしていないけれど。そう思いながら答えたクロの返答に、シロはぱあっと顔を輝かせる。
「俺もやった!学校から校旗かっぱらってきて山の頂上に立ててさ、麓に陣形敷いて敵軍迎え撃ったりした!!」
鶴翼の陣とか地味に効くよなアレ、と嬉しそうにきらきらした目をするシロを、クロは生ぬるい気持ちで見つめる。そもそもクロが育ったこの首都に、山などない。そんなことは今周りを一瞥しただけでわかりそうなものなのに、クロの冷めた視線にも気づかず、シロは武勇伝を一頻り語って聞かせた。