■ きみを縛れたためしがない 10
黒塗りの車が店の前に止まる。バラバラと降りてきた獣人を見てシロは、「あらら」とのんきな声を上げた。
「追いつかれたなぁ」
ほんの数時間前にディーノに来たのと同じ、陸上肉食獣の面々。エヘールシトだ。
「逃げますか」
のほほんとしたままのシロに端的に問うも、シロは「んー」と軽く唸る。
「おとなしくしてろってユキに言われたしなぁ……あ、でもあれは奴隷商人に対してか……」
シロが頭を捻るうちにも陸軍はシロとクロを囲んで立ち牙を剥く。殺気に反応して子パンダがきゅうきゅうとか細い悲鳴を上げた。それに対して何かを言おうとしたシロを遮り、一際かっちりとした軍服を身につけた貂が一声、低い声で告げた。
「稀少種の拉致強奪、及び奴隷売買の容疑で拘束する」
「ちょ……っ……」
話も聞かずに横暴すぎる、と文句を言おうとしたクロは、言葉を発する前に両腕を掴まれ地面に引き摺り倒された。じゃりっとした砂の感触を頬に感じ、顔を上げようとしたが後頭部を押さえ込まれる。力を込めれば込めるほど、押さえつけてくる力が強まり息が苦しくなる。
そう来るか、と呟いたシロの声が上の方から落ちてくる。穏やかといって差し支えないその声が、やけにクロの耳に残った。
「どこに行くんですか」
両脇をがっちり拘束され車に押し込められたクロは目の前の豹に質問を投げかけたが、じろりと嫌な目で睨まれただけで何も答えては貰えなかった。
「稀少種の拉致強奪って言ってましたけど、あのパンダは空から落ちてきたから保護してただけで、別に俺らが攫ってきたわけじゃないんですって」
何度目かわからない訴えをしたが、彼らは一言も発しないばかりかクロの方を見ようともしなかった。
がっくりと肩を落とす。
押し込まれた車は窓ガラスにスモークがかかっていて外は全く見えない。恐らく陸軍のどこかの施設に向かっているのだろうと想像されたが、今どこらへんにいるのかはクロにはさっぱりわからなかった。シロと子パンダを詰め込んだもう一台が近くにいるのかさえわからない。
──やっぱり端末を使ったのはまずかったか……。
ユキに連絡をした時にエヘールシトにも逆探知されたとしか思えない。足が付かないように直接中央機関に出向いたというのに、ユキに接触する前に捕まった。門前払いを食らわせたワニ紳士が恨まれてならない。
せめてもの救いは、ユキに事情を説明済みなことだ。
──ユキさんのことだから、きっと後を追ってきてくれるはず……。
中央機関前での拘束は目立ったはずだから、ユキが二匹を探そうとすればすぐにわかる。そう思って落ち着こう念じるものの、相手が陸軍というところが嫌な予感がしてならなかった。
──確か、エヘールシトとリーネア・レクタってめっちゃ仲悪いんだったよな……。
三軍の指揮権が与えられている陸軍は、実質的に軍本部を直轄している。陸海空の三軍を意のままに動かせる陸軍に睨みをきかせているのは中央機関で、だからこそ行政立法・司法の二部門は軍部という法執行機関に圧迫されることなく機能し、赤青緑の三権分立が成り立っているのだとか。中央機関は独自の判断で行動する権限と共に、軍部を統制する権限を持ち、逆に権限の行使について統制を受ける陸軍は、それをよく思っていないと聞いたことがあった。猛虎を押さえつけて額ずかせているのが中央機関で、故に陸軍は牙を剥きその制御から外れる機会を虎視眈々と狙っている、とも。
車の揺れが一層酷くなったような気がする。ガタガタと鳴る音に目を閉じ、どこかへ到着した後のことを思った。
陸軍と言えど、話が通じる相手もいるはず。また、最終的に嫌疑が確定する前に取り調べや裁判も行われるだろう。さすがに軍部と言えど、司法機関をすっ飛ばして法執行を強行することは出来ないはずだ。だからその中のどこかで、きちんと訴えれば……。
だが、そんなクロの考えを断ち切ろうとするかのように、車は突然大きく揺れた。
「うわっ……!」
急ブレーキの高鳴りと共に、ガシャンという大きな音、次いで衝撃が走って右側に強かに打ち付けられる。
「いっ……てて……」
両脇を抑えられていたお陰で、豹の上に乗り上げただけで済んだクロとは逆に、目の前の豹は額から血を流していた。隣のコヨーテも右肩を押さえる。
「クロ!」
大きく開いたドアから伸びた手が目を見開くクロの手を難なく掴んで、あっという間に外に引っ張り出す。足がもつれて転げ落ちたクロが顔を上げると、子パンダを背に負ったシロがクロのことを見下ろしていた。
背後には横転した車、もうもうと立ちのぼる砂煙。
車からは油が染み出していて、引火すればあっという間に爆発するに違いない。なのにケロリとした顔をしたシロはクロの顔を覗き込んで、怪我がないことを確認すると一つ、深く頷いた。