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■ きみを縛れたためしがない 12

 擦り傷程度の怪我しかなかったクロは、簡単に手当を受けた後はすぐに身柄を解放された。
 シロと引き離された子パンダは泣いて泣いて目玉が溶けるのではないかと思われるほどに泣いても猶も泣きやまず、対処に困ったクロは子パンダを抱えたままシロの収容された病院に向かった。包帯でぐるぐる巻きにされたシロはユキに睨まれてすっかり悄げていたが、クロと子パンダを見るとわずかに表情を和らげた。
 シロに縋り付こうとする子パンダを、傷に障るからと宥めようとしたクロを遮って、シロ自ら手を伸べる。その手に顔をこすりつけて泣く子パンダをユキは苦々しそうに見つめていた。

「これが例の、パンダの子?」

 言うなり手を伸ばして掴み上げようとしたユキに、子パンダは必死に抵抗する。死んでも離すもんかという決意を漲らせてシロの手に縋り付く子パンダに、ユキの方が先に折れた。

「そう。昔のユキみたいだろ?」

 ユキが子パンダを好ましく思っていないのは明白なのに、シロはそんなことを言って笑う。案の定、ユキはピキリと額に青筋を浮かべた。子パンダも子パンダで、目の前の嫌なやつと同類扱いされたことを察したらしく、不満そうにきゅうと鳴く。
 だがそんな二匹の心情を全く斟酌しないシロは、子パンダの眉間を親指で柔らかく撫でてからユキの方を向き直った。

「この子の親御さんのこと、何か分かった?」

 さすがにその言葉にはピクリと反応して、子パンダもユキの方を見上げる。
 両者の視線を受けて、ユキは不承不承といった様子で話し始めた。

「どうやら、アエーレアが護送していたところを奴隷商人の襲撃を受けて、この子だけ空軍機から落ちたみたいだね。親元にはすぐに帰れるよ」

「……空軍機?」

 軍関係者とは思われないこの子パンダがアエーレア、すなわち空軍に護送されていたという話に首を傾げる。それにユキは大きく頷いて、子パンダの方をちらりと見た。

「この子、モナルカ公国の公太子様だよ」

「……っ、ぇえええ!?」

 モナルカ公国と言えば、西北部に位置する少数民族の自治国だ。
 人口はおよそパンダが3.2%、獏52.3%、熊が26.6%、その他の猫や狸が17.7%を占めるという。その中でも最弱であり最少数のパンダ族が代々公主を務める。世界でも珍しい自治形態だが、それを可能にしているのは標高4000mから5000m以上に達する山脈に囲まれた高山地域であるという環境的特質で、そうでなければあっという間に他国に制圧されていてもおかしくない。
 そのような国であるから、公主らが外出する際は他国の軍に護衛を依頼するのが普通。レース・プーブリカ共和国はモナルカ公国とは和平同盟を結んでいるため、レース・プーブリカ軍に護衛依頼が来るのも当然と言えたが。

「……公太子様?」

 居心地が悪そうにモゾモゾと動く子パンダをシロと二匹でじっと見つめていると、子パンダの耳がぺたりと垂れた。

「モナルカのパンダ族が珍しく国を出るって奴隷商人が聞きつけたみたいでね、移動中に襲撃されたらしい。いなくなった公太子様を必死に探してるところに首都の複数の店舗から被害届が出された。その中の一店は、昨日奴隷商人を突き出して来た店で、しかもパンダをサッカーボールと偽って虚偽の申請をしている……、というわけでシロさんたちは、奴隷商人と繋がってるんじゃないかという嫌疑を掛けられたってわけ」

「っ、そんなの!言いがかりじゃないですか!」

 昨日奴隷商人を突き出したのはシロが狙われたからで、しかもサッカーボールが落ちてきたとして被害申請したのも、わざと偽ったわけじゃない。だがクロの訴えにユキは軽く肩を竦めた。

「後ろ暗いところのある者はそんなものだよ。スケープゴートを仕立てて自らへの嫌疑を晴らそうとする。特に俺がオーナーだから、中央機関が関わってるんじゃないかって疑いも掛かったんだろう。店にエヘールシトが来た時に逃げたのは正解だった。あのまま連れ去られていたら、そのまま処分対象にされていたかもしれない。さすがに俺も、手がかりなしじゃ探し出すまで時間もかかっただろうし」

 処分、という言葉に身の毛がよだつ。言葉を失ったクロの横で、シロはわずかに眉を顰めた。

「後ろ暗い……ってことは、軍部に奴隷商人と通じてる奴がいるってことか?」

 その問いかけに、ユキはわずかに目を細める。薄く笑みを履いた口元は、だが何も言葉を発しなかった。そんなユキの態度にシロは軽くため息をつく。

「まあいいや……俺にできることは何もないし……。それより、この子をちゃんと帰してあげて」

「それは、もちろん」

 あっさりと頷いたユキに、シロは子パンダの身体を託した。今度ばかりは子パンダも抵抗せず、ユキの手のうちに収まる。

「元気で、身体に気をつけて」

 頭を撫でるシロを子パンダは潤んだ瞳で見上げる。大きな目から涙がこぼれ落ちそうになるのに、シロは目尻にちゅっとキスをしてその頬を柔らかく撫でた。

「ちょっとシロさん。この子、王位継承権五番目だから。比較的自由な身の上だから、変に気に入られるような真似しないで」

 シロの手から子パンダを引き剥がし、きゅうきゅうと鳴くパンダの抗議も聞かずにユキはシロを睨め付ける。だがシロはきょとんとした顔をしてから、嬉しそうにふわりと笑った。

「そっか、結構自由なのか。じゃあ大きくなったらうちの店にご飯食べにおいで」

「ちょっ──」

 ユキの文句を物ともせず、シロは子パンダに笑いかける。こくこくと何度も頷く子パンダを見て、ユキは大きなため息をついた。

 ──これは……。

 いつまでも名残惜しそうにシロを見つめる子パンダを、ユキはさっさと車に詰める。遠ざかっていく車を病院の入り口から見送りながら、クロは、子パンダに再び会う機会が訪れるだろうことを確信した。きっと人語を解するようになって、シロを口説けるようになったらユキの手からかっ攫いに来るに違いない。
 シロがユキを捨てて他の誰かを番いにするとは考えにくいが、かといって可愛がっていたパンダが慕ってくるのを邪険にするとも思われず、結果としてユキが不機嫌になるのは火を見るよりも明らかだ。

 ──面倒なことにならなきゃいいけど。

 今日一日苦楽を共にしたパンダに対する情はあれど、クロとしてはやはりユキの機嫌が一番気になる。

   +++

 その後、陸軍幹部及び空軍軍人の数名が奴隷商人を手引きしたとして中央機関から告発を受けた。数々の証拠品を提示された軍部側には抗う術はなく、大いなる痛手を蒙ることになった。
 その一方で、国交樹立20周年記念及び越境友好年を祝う目的で、隣国を外遊したモナルカ公国の公主公妃及び公太子が、レース・プーブリカ共和国にも立ち寄り、議長に表敬訪問したことが話題となった。そのニュースを端末でぼんやりと見ていたシロは、自らが“ユキジュニア”などと適当に名付けた第五公太子の名前を初めて知った。

「カコウ……」

 ザムタン公主、ツェンラ公妃、とテロップの出た二匹のパンダに連れられたパンダは、間違いなくあの子パンダだった。ニュースは、カコウ公太子には外地留学の意志があり、中でもレース・プーブリカへの留学を希望している旨を伝える。

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