■ きみを縛れたためしがない 13
「危ないことは絶対にしないで、って俺、頼んだよね……?」
パンダ事件が解決してから三週間後、シロの怪我が完全に治ったある日の夜、ベッドの上に座り込んだシロにユキは不意にそう告げた。突然向いた矛先にシロは、うっと曖昧な呻きを漏らす。
戦い慣れた陸軍の面々を前にしても竦まなかった脚が、背を向けたままお茶を入れているユキ相手に立ち上がることすらままならなかった。
「シロさんが腕に覚えがあるのはわかってる。昔から追いかけっこして遊んでたもんね……?上位種の奴らに囲まれても逃げ切って、シロさんを手籠めにしようとした奴らが歯噛みしてたのも知ってる。だから、そのこと自体をとやかく言うつもりはないよ」
カタン、と音を立てて、コップをローテーブルに置いたユキは、振り向いてシロに目を合わせてからにっこりと綺麗に笑う。
「でももうこれ以上、シロさんに傷が増えるのは嫌なんだ。シロさんの身体に残る傷を一つ一つ数える度に、シロさんを守れなかった自分を殺したくてたまらなくなるから」
柔らかく表情を緩ませるユキの笑顔はとても綺麗で、シロは叱られている今の状況を忘れて思わず見惚れる。ふにゃんと頬が緩みそうになるけれど、それが綺麗であればあるほど、ユキがどれほど傷ついたのかを指し示しているのだと思い、口許を引き締めた。
「シロさんが怪我をする度、俺はつらくて苦しくて仕方がないんだよ。今も、……昔も」
「ユキ……」
「でもシロさんは、それをちっともわかってくれない」
笑みを淋しそうなものに変えたユキ見ているのがつらくて、シロは思わずユキの腕を掴む。
「わかってる」
「わかってないよ」
丸く小さな耳をぺたりと伏せたまま、ユキは顔も伏せた。
「わかってるなら、なんでエヘールシトに刃向かったの?相手は曲がりなりにも軍所属の軍人なんだから、シロさんが相手にしてきたような地元のゴロツキとはわけが違うって、わかってたでしょ?肉食獣は、抵抗されればされるだけ本能が刺激されて理性失うって、知ってたでしょ?」
「……それは」
それはもちろん、わかっていた。刃向かうべき相手じゃない。わかっていたけれど、相対したらつい軽く手合わせしてみたくなってしまった。彼らの目の色が変わるのをみてようやく、まずいと気づいたのだ。下手に刺激せずに最初から逃げに徹するべきだったと気づいた時には遅すぎた。
ユキが来るのがあと一歩遅ければ、シロはもちろん、クロも子パンダも危なかったかもしれない。シロの浅慮が皆を危険に晒したのだ。
ユキは、シロを責めない。心配したと言って怒るだけだけれど、シロは自分の浅はかさが今回の事件の発端にも関わっていることを十分理解していた。
子パンダ──カコウが落下してきた、その被害に遭ったのは周りの店舗も同じこと。なのにディーノにだけ嫌疑がかかったのは、前の日にシロが奴隷商人と事を起こしたから。中央機関の人間であるユキが、ネズミを一匹だけ、しかも個人的に捕まえたという行動もまた陸軍の不信感を煽ったに違いない。店を訪ねてきたネズミ男を、モンかどうかちゃんと確かめればよかったのに、その手間を惜しんだ。その結果だ。
ぺたん、と力なく落ちたシロのしっぽを見て、ユキはようやく顔を上げた。
「シロさん……」
ユキの薄い瞳がただシロだけを映す。細く長い指を持つ手がシロの頬にそっと触れた。輪郭をなぞってすぐに離れてしまったその手を思わず掴んだシロに、ユキはくすりと妖しく微笑んだ。
「じゃあ、ごめんなさいして?……俺がこれから何しても、抵抗しないで」
悪魔の微笑を浮かべてユキがキスを求めてくる。
「な、……何する気……?」
近づいてくる顔を仰け反って避けようとするシロをそのまま押し倒し、ユキは瞳を輝かせながら抱きついてきた。ちゅ、と唇を奪われてシロはそのままベッドに沈む。シロの身体に乗っかったユキは、子どもの頃のように無邪気にじゃれついた。
「あのね、俺、今日はシロさんに意地悪したい気分」
「え……?」
意地悪、というのが何を指しているのかはわからないながらも、目を細めて見つめてくるユキに嫌な予感しかしない。全身を悪寒が襲って涙目になったシロに、ユキは顔を近づける。
「シロさん、大好きだよ」
愛してる、と視界もぼやけるほどの近さで言って、かすかにやわらかい笑みを浮かべる。
シロがその顔を大好きだと知っていてあえてそれを見せつけるユキをシロは悔し紛れに睨む。
「そういうの、反則……っ」
昔から変わらないユキの思いを目の当たりにして、シロは涙目になりながらも敗北を感じる。ユキの頭を抱え込んでぐしゃぐしゃに撫でると、ユキは嬉しそうに甘い笑顔を浮かべた。
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にっこりと笑ったユキの手には、素晒しの布と、縄。……縄!
「ゆ、ゆゆゆゆ、」
「大丈夫だって。怖いことはしないから、暴れないの」
「だってだって」
確実に悪いことを企んでそうな笑顔を浮かべて、ユキは近づいてくる。怖いことはしないと言われたって、動物の本能が逃げろと言っている。間違いない、捕まったら猫鍋にされる!
ぎゃあぎゃあ騒ぐシロを、だがユキは、怖がらないで動かないでねと、手負いの獣にするみたいに落ち着かせながら布で視界を塞いで、両手首を縄でぐるぐる巻きにした。
やだ、と涙声で訴えるシロの髪を優しく撫でる。
「シロさんを傷つけるようなことを俺がするはずないでしょ?──俺のこと、信じて」
ユキの殺し文句に、まんまとしてやられたシロは言葉に詰まって文句が言えなくなる。その隙に手首の縄をベッドのパイプに固定して、シロの抵抗を完全に塞いだ。