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■ うそつきの言い分 4

 ユキの元で仕事をして一週間経った頃、アオはユキをランチに誘った。
 いつも忙しそうなユキの仕事がこの日は午前中で一段落してゆっくり時間がとれそうだったことと、ユキと行けば例の白猫が出てくるのではないかと思ったこと、そして後は、皆の憧れの的らしいユキ様といっちょ飯でも食ってやって、さらに皆を羨ましがらせてやろうという嫌がらせ根性から出た考えである。
 何故お前と飯を食わねばならんのかと言われないために、クロの様子を見に行きたいという理由を付けた。
 ディーノはアオの会社からは少し遠いが、リーネア・レクタ本部からは裏通りを通れば存外近い。
 一秒ほど首を傾けてからあっさりOKしてくれたユキは、せっかくだから少し早めに出ようと言って、お昼前に職場から連れ出してくれた。一分一秒でも長くサボたいアオとしても全く異存はない。

 晴れ渡った空の下をゆっくりと歩くユキを、すれ違うひとたちが振り返って見つめる。
 リーネア・レクタの黒い制服が長身の体躯に映える。その顔に陰を落とす前髪の隙間からは、鋭い目が覗く。裂くような光を放つ瞳は完全に肉食獣のそれであるがゆえに、華やかに整ったユキの容貌に硬質な雰囲気を加えていた。

 ──悔しいけど、文句の付けようもない、いい男だよなあ……。

 ホワイトタイガーであることを抜きにしても、モテないわけがないと思わせる。
 本当なら、入れ食い状態でもおかしくない程だ。なのにそんな乱痴気騒ぎにならないのは、ひとえにユキが余人を寄せ付けない空気を発しているからに他ならない。
 もっと気安い雰囲気であれば──と、アオがそんなことを考えて例の女豹を思い出し、なんとも言えない気分でいるうちに、ユキはさっさと歩いて開店直後のディーノに到着した。

「いらっしゃ…、ユキさん。……………………と、アオ」

 ドアを開けた二匹を出迎えたクロは、ユキを見て眉を上げたものの、続くアオを見てげんなりとした低い声を出した。

「失礼だなー。そんな態度でいいのかよ、ウエイターさん」

 揶揄したアオにクロは小さく舌打ちしたが、すぐに身を翻してフロア奥の席に誘導する。
 今日の入荷状況やメニューについて淀みなく説明するクロにアオは、なるほどこの仕事はクロに向いているのかもしれないという感想を抱く。
 初等教育の頃から情報処理に長けていたクロは、アオと共に中央機関の雑務をこなすようになるとすぐにその能力を発揮した。あの時はそれがクロの天職かと思ったけれど、こうしてウエイターとして働いているのを見ると、それはそれで様になっている。むしろウエイターとして動いている時の方が、相変わらずの無表情だけれどもどこか生き生きとしているように感じて、苦なくこなせることと楽しかったこととは違ったのかもしれないとアオはぼんやりと思った。
 オーダーを取り、クロが厨房に消えて少しするとぴょこん、と小さな影がフロアに顔を出した。

「ユキ。ランチの時間に来るのは久しぶり、かな?」

 そう言いながら、とたとたと軽い足音を立てて近づいてくる姿に、アオはあれ、と思う。いつぞやの白猫に違いないのだが、あの夜とは随分雰囲気が違って見える。
 澄んだ碧の瞳は春の光のようにやわらかく、身体の後ろでゆらゆらと揺れるしっぽも、綿毛のように頼りない。
 オスを誘惑し、抜け出せない沼に引き摺り込んでおきながらあっさりと捨てるような魔性をあの夜は感じたのだけれど、今の彼にはそんな翳はまるで感じない。

「今日は午前中で仕事が片付いて。少し早めに出てきたんだ」

 構えることなく発されるユキの声もいつになくやわらかいけれども、さらさらとしていて、世間一般の番いとの会話にありがちな、粘つくようないやらしさはまるでない。むしろ淡々としすぎている程だったが、対する白猫も側に控えるクロも、それを気にしたそぶりはなかった。

「ゆっくりしていってね」

 わざわざアオの方を見て笑んでから彼は厨房に戻り、その姿はすぐに見えなくなる。美人なのは変わりないけれど、何だか少し、儚げに見えた。

 

 


 ディーノのランチは、食に執着がないアオにとっても確かにおいしく、グルメならばきっと様々に蘊蓄を垂れたいところに違いないと思われた。
 グルメでないアオと、無駄なことを言わないユキは、黙々と食べながら時折感想とも言えないような簡単すぎる言葉を交わし合う。けれどそれでも充分心が通じ合ったような気がするほどには、満足もしたし心も満たされた。
 デザートと食後のコーヒーまでしっかり味わってからユキはゆっくりと席を立つ。
 精算しながらクロと一言二言言葉を交わし、ありがとうございましたの声に頷いて店を後にする。
 結局、白猫が厨房から出てきたのは最初のあの時だけで、ユキと交わした言葉もあの一言だけ。番いが店に来たというのに随分とさっぱりしたものだなという感想を抱いた。
 ランチタイム終了間際に戻った中央機関では、同じくランチから戻ったところらしい例の女豹と入り口付近でばったりと遭遇した。
 ユキはこれまでの態度を一変させて明るく彼女に話しかけ、口数も多く、なんだかんだと話をする。それは先ほどまでの白猫に対する態度とは全然違っていて、アオはなんだかいたたまれない。ついさっきまで感じていた、満たされた気分や余韻が霧散していく気がして、そそくさとその場を逃げて与えられたデスクに戻った。
 戻った先では、気安い面々がユキと二匹でランチに行ったことへのやっかみを投げかけてきてくれて、それに少しだけほっとしながら胸を張って自慢をする。
 アオが白猫の肩を持つ必要は全くと言っていいほどないのだが、店でアオに笑いかけてくれたときの、今にも消え入りそうな儚げな優しい笑みが思い出すだけで胸に刺さる。
 とはいえ、女豹だって中央機関の人間ならばきっととても優秀なひとなのだろうし、白猫とは全くタイプが違うけれど派手な美人ではある。
 きっとユキとも、上位種同士わかりあえるところがあるのだろうと考えて、まあ自分が悩んでも仕方のないことだと、アオはそこで思考を放棄した。

   +++

 ユキの監視下での業務遂行という、アオにとっては胃が痛くなるような状況下で、それでもへこたれないアオはスパイ活動というやり甲斐を見い出し、頼んでもいないのにユキの動向を逐一クロに報告してくるようになった。
 とはいえ、業務上のことは守秘義務に当たるのでアオといえどさすがにおいそれと漏洩することはできない。
 だから目下、アオの監視報告はユキと女豹とのことに絞られていて、ユキは今日女豹と何回話をし、それは何分に亘り、主な話題は何だった、などの情報を流してくるのである。
 これだって立派なプライバシーの侵害に当たるのではないかとクロは思うのだが、『人前でぺちゃくちゃ喋ってんのが悪い』の一点張りで、アオは全く反省の色を見せない。
 だがそれによると、主に言い寄っているのは女豹ではあるようだが、ユキも冗談や時にはかなりの毒舌を交えながら相手をしているようで、ユキにジョークの一つも言われたことのないクロは複雑な感情を抱かざるを得ない。またシロに言っているのを見たこともない。
 そんなこと知りたくはなかったのに勝手に知らせてきやがって、という八つ当たりじみた感情をアオに抱きもする。
 そんなクロの心境など露知らず、調査報告の名目で以前にも増して頻繁にクロの家に入り浸るようになったアオは今、クロの家の床にぺたりと横になって寝ていた。
 仕事終わりに酒を片手にやってきて、一頻り飲みながら語るだけ語って帰って行くのが常なのだが、どうやら今日は睡魔に負けたらしい。白くやわらかそうな腹が上下するのを見ながら、クロは缶ビール片手にその腹を突いた。

「アオ」

 呼びかけても、何かをうにゃうにゃと言うだけで起きようとはしない。
 しつこく突いていると、くるんと反転して俯せになって寝続ける。細く長いイタチのしっぽがクロの手元にまで届いて、ふかふかするそれを持ち上げてプラプラと遊んでやっても全く起きる気配はなかった。
 十年来のこの友人は、トラブルメーカーでアホでどうしようもない。
 なのに妙に憎めないところがあって、まあアホだけどとんでもないバカはやらないから、とだらだらとつるみ続けている。
 楽しいことが好きというのが基本的な行動指針で、そこには誠意など欠片もなさそうなのに、『お前にしかできない』などと適当な文句でおだてると俄然やる気になってがんばるし、感謝の言葉を言えば照れながらも嬉しそうな顔をする。そんなアオの単純さがクロは嫌いではなかった。
 今回の件も、クロがシロを少なからず気にしていることに気づいて、ユキのスパイが出来るのは自分しかいないなどと思い込んで大層な使命感をもって臨んだに違いないのだ。缶ビール一本開けただけで爆睡するほど疲れている癖に。

「どうしようもねえ、アホ」

 アオのしっぽをぶんぶん振り回しながらクロはひとりごちる。
 クロが前職を辞めるときも、皆に散々引き留められたり呆れられたり励まされたりしたけれど、この友だけはそのことを否定も肯定もしなかった。ただ一言「ふーん」と言っただけだ。
 一向に起きる様子のないイタチのしっぽで遊ぶのに飽きて、気付け薬にとコーヒーを淹れることにした。
 台所で湯を沸かして、棚からコーヒーの粉を取り出す。ディーノで働くようになって一番最初に教えてもらったのはおいしいコーヒーの淹れ方で、沸かしたてのお湯を丁寧に丁寧に注いでいくと粉が膨らんで香ばしい匂いが立ち上る。

『大好きな人の耳の後ろを撫でる時みたいに扱うといいよ。丁寧に優しく、大好き大好きって思いながら撫でるイメージで』

 そう言ったシロに思わず「あんたどんだけユキさんのこと大好きなんですか」と言いたくなったのを思い出す。
 あの時のシロの目は、本当に愛おしそうにコーヒーを見つめていたけれど、今はもう、シロはあんな目でユキを見ないのだろうか。それとも冷めたのはユキだけ?
 上司の色恋沙汰なんてどうでもいいことのはずなのに気になる。そして気になること自体が気にいらない。

「アーオ。ちょっと起きろ」

「……ぅ」

 戻ってきて、まだ寝穢く寝こけているアオを彼自身のしっぽでべしべし叩くと、ようやく重そうな目蓋がゆっくりと開く。もぞもぞと手足を引っ込めて丸まってから一言、「寝てた……」と呟いて、それからゆっくりと手足を伸ばして起き上がった。

「知ってる。すげえ爆睡してた」

「いやー、ユキさんの監査キツくてさ」

 いつものへらへらとした胡散臭い笑みを浮かべながら気まずそうに言い訳をする。傍若無人を装いながらも実は育ちがよかったりするアオは、人んちで勝手な振る舞いをするということが出来ない。家主を差し置いて爆睡してしまったのが気に掛かりつつも、仕方ねえだろ眠かったんだよって顔をするほうが格好いい気がするから、寝ちゃってごめんねとか言わない……。そんな心情が手に取るようにわかる。

「ユキさんのことなんだけど」

「?おう」

 クロの淹れてきたコーヒーにちゃっかりに手を伸ばすイタチを横目で見つつ、「シロさんに話してい?」と言うと、アオはコーヒーの湯気の向こうから目を細めてクロを眺めた。

「めっずらし。いいけど」

 クロが自ら情報をリークするなど、めったにあることではない。

「ちょっと出方窺ってみようかと思って」

「ショック受けて泣いちゃったりしない?」

 ケラケラわざとらしい笑い声を上げたアオを、だがクロはあっさりと否定する。

「あのひと、あれで意外と武闘派だから」

「まじで?全然見えない」

「俺も最近知ったんだけど。ユキさんよりよっぽど好戦的」

 そう話すと、へえ、と言って目を輝かせる。面白いものを見つけた時の、いつものアオ。明日仕事終わってから話すと言うと、どうしてもそこに同席したいと駄々をこねた。

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