■ 夢見る頃を過ぎても 7
それから5年。17だったシロが22になり、27だったトキが32に、13だったユキが18になるまでの長きに亘って、ユキが様々な策略を練ってはシロに仕掛けているのをトキはずっとシロの傍らで見てきた。トキの知る限り、ユキは着々とシロの望んだ通りの“立派な大人”への階段を昇っていた。しかしそれは全てシロのため。ずっとシロのことだけを想って生きているのがユキで、それは一度たりともブレなかった。無論それは「トキから見たユキ」だから、一面的な見方であることは否めない。けれどその一途さに、いつか感じたのと同じ空恐ろしさを覚えた。
ユキがひたすらシロに攻勢を掛けている間に、シロとトキの関係にも変化があって、営業終了後シロがディーノの二階にあるトキの住まいにしばしば立ち寄るようになった。一旦そうなると、泊まっていくようになるまで時間はかからない。無邪気に懐いてくるシロに引きずられるように関係を持ち、やがて“恋人”と言えるような関係になった。
しかしそうなったらなったで、トキの中であの、空の底まで見通せそうなほど澄んだ紺碧の瞳への後ろめたさが常に付き纏う。またもう一度、ユキに会うことがあったら、その時もあの瞳を真っ直ぐに見れるだろうか。
そんなトキの中の煮え切らなさを察したのか、シロが物言いたげにトキを見つめることが何度かあって、それが気になりつつも強く聞くこともできないままでいるうちに、シロは一日休暇を願い出た。理由は「幼馴染が10年ぶりに帰ってくることになったから」。
それを聞いた瞬間、トキは負けを悟った。
──今からダメ元で誘ってみるって手も、ないわけじゃねぇけど。
それは絶妙なタイミングだった。
トキとシロは、“別に何の問題もない、良好な関係”を築いていたけれど、それでもやはり日々溜まっていく煮え切らなさとそれに対する自らへの苛立ちをシロに勘付かれている自覚はあって、これからのことをシロになんと切り出すべきか悩んでいた矢先のユキの帰郷。
──まぁ、今から誘っても時すでに遅しって感じだけどな……。
一緒に旅に出よう。ユキでなく自分を選べとシロに迫ることもできなくはない。けれどそれも遅きに失した感はなくはなかった。シロはあまり深く考えない代わりに勘が鋭い。今から誘ってもシロは、自分を置いていけないから誘っているだけだと取るだろう。ユキのことさえなければとうの昔に掻っ攫ってこんな田舎町を出ていたなどと話してもきっと信じない。
ユキに久々に会うのだと言うシロは本当に嬉しそうで、そんな顔を見ているとトキの顔も自然にほころぶ。楽しんで来い、そう言って頭をぽんぽんと叩くと、シロは笑ってうなづいた。
その笑顔はこの5年、トキが幾度となく見てきたもので、同時にこの5年、ユキが喉から手が出るほどに欲していたに違いないもの。5年前に一度見た、そしてこの5年ずっと感じていたユキの恐るべき執念を思い出しながら、トキは無邪気に笑うシロを見送った。
+++
ユキの勝ち誇った顔なんて見たくもなかったからシロの家の方には近づかなかったというのに、何気なく駅前を通り掛かって、トキはシロを軽々と抱き上げるユキを見た。
──あいつ、ホワイトタイガーだったのか……。
道理で猫にしてはおぞましい程の殺気だと思ったと思い返してみるが、しかしあの頃はまだひ弱な少年に過ぎなかった。しかしユキは今や堂々たる体躯の成獣に成長していた。
──あれじゃあ、今やったらどっちが倒されるかわかんねぇな。
もしかしたらトキにあっさりと負けて腕まで折られたのを屈辱に思って、必死に身体を鍛えてあそこまでになったのかもしれない。そして、綺麗だ綺麗だとシロが言うほどには綺麗だとは思えなかった5年前のユキだが、5年経って外見も華やかに、確かに端正な顔立ちだといえるほどにまで成長していた。こっちは5年経って老けただけだというのに、子どもの成長とは恐ろしいものだ。
今や、シロより大きくなったその身体で軽々とシロを抱き上げて見せて、あれではシロももうユキを子ども扱いすることはできないだろう。大人になったと示すパフォーマンスとしては、ホワイトタイガーだったというインパクトと相俟って十分すぎるほどだ。
──嬉しそうな顔しやがって。
シロをその腕に抱いたユキは、毎晩見上げ続けた月にようやくその手が届いた子どものような顔をしていて、シロのことが愛しくて愛しくてたまらないといった顔を臆面もなく見せる。目に入れても痛くないほどに、食べてしまいたいほどに愛おしい。そんな顔でシロに笑いかけるユキに、トキは小さくため息をついた。
──わかってるよ、俺の負けだ。
ユキはきっと他の誰に奪われそうになったって、どんな妨害をされたって、死んでもシロを離そうとしないだろう。何を以ってユキを揺るがそうとしても、シロ以上に大切なものがユキにあるわけもない。3歳で出会ってから18になる今のこの時までの15年間、ユキにとっての一番はずっとシロで、そしてそれはこの先何十年経とうがきっと変わらない。ユキの全てはシロを手に入れるためだけにあって、シロと生きるためだけに費やされる。
それが、首都に行ってより強固な方法と手段と力を得ただけの話で。
──いや、そうさせたのは俺か……。
シロが欲しいなら頭を使え。その賢い頭脳の使い道を考えろと教えてしまったのは、他ならぬトキ自身。しかしまさかここまで見事に期待に応えてくるとは思わなかった。
──精々、シロにうまい飯でも作ってもらうがいいさ。
そんな態度は微塵も出さないだろうが、どうせユキはシロが料理をするたびにトキを思い出すに違いない。記憶力のいいユキは、トキという“シロの昔の男”を決して忘れることができない。当事者であるシロとトキの中で、そのことが穏やかな記憶となって薄れゆくほどになっても、だ。
すば抜けて頭がいいというのもそれはそれで不幸なことだとトキは思って、それなりに気分を浮上させて駅舎の前を後にした。