■ 聞こえない声に、耳を澄ませて 3
その日の深夜。
ユキとシロの家ではユキさえ予想だにしなかったような、悲劇が起こっていた。
「あぁぁぁあああ!!うわぁぁぁあああん!!!」
シロの絶叫がこだまする。ジタバタと暴れるシロを、ユキが全力で押さえつけていた。
「シロさん落ち着いて!大丈夫だから!暴れないで!!」
「大丈夫じゃないっ!かゆいかゆいかゆいかゆい!!かゆくてかゆくてかゆくて死ぬ!」
「俺がシロさんを死なせたりしないから、落ち着い……ふぐっ!」
必死で宥めようとするユキのみぞおちにシロの蹴りが命中し、力が緩んだ隙にユキの下から逃れ出たシロがゴロンゴロンと床を転げ回る。転がりながらまたユキを足蹴にして、散々暴れたところでまた押さえ付けられた。
「かゆいかゆいって、具体的にどこがかゆいの?」
顔を覗き込まれて尋ねられ、シロはぐっと唇を噛む。
「う……」
「シロさん?」
何とも言いかねるところがかゆいのだが、黙りこくるとよりかゆさが意識される気がして、シロは慌てて口を開いた。
「あのその……、さっきのやつ、塗ったとこ……」
媚薬を内部に塗り込められて身も世もなく啼かされて、挙げ句の果てにユキに酸欠で殺されそうになって、ようやく意識を取り戻したらかゆかったのだから、どこがかゆいかなど察して欲しい。
「つまり、中、ってこと……?どこらへん?入り口辺りかな……」
言いながら、ずぶりとまた指を挿入する。何度もユキを受け入れて、すっかりとろけたそこはあっさりとそれを飲み込んだ。
「あ、……あっ……!」
「ん……ここらへん……?」
くちゅくちゅと中をいじる指がこそばゆくて、より一層かゆみが増す。震える指でユキの腕を掴み、首を振った。髪がパサパサと音を立てる。
「んんんんん……っ!そこ……っ、や……っ!!」
暴れようとするシロの脚を押さえ込んで、ユキは秘部を覗き込む。視線を感じればまたさらにかゆみが増して、奥にもっと太いものをと疼く。それがまたかゆみを触発して、かゆくてかゆくて狂ってしまいそうなほどだった。
「ユキ……っ、ユキぃ……!……っ、ねが……」
押さえられた脚をそれでもバタバタと動かして訴えると、ユキはようやく顔を上げた。
「なぁにシロさん……。今度は素直だね……?」
この期に及んでまた意地悪な顔を見せるユキに、羞恥心や反発心よりも早く早くと求める気持ちが勝った。
「奥……っ!おく、はやく、いれて……っ。ゆき、ゆき、はやく……っ!!」
何度も何度もユキを呼ぶ。そんなシロに、ユキは何事かを呟いたが、シロにはほとんど聞こえていなかった。
ずぶりと突き刺さる感覚にかゆみが飛んで恍惚感が背中を駆け抜ける。
「あ、あ、あ……っ!」
目の前が真っ白になって何も見えない。ただ充足感だけが確かにそこにあって、後は何もわからなくなった。
がくがくと揺さぶられる感覚だけを追って今度こそユキに縋り付く。もっともっとと願ううち、シロの意識は真っ逆さまに落ちて行った。
+++
翌朝。シロは身体を揺さぶられる感覚にぼんやりと目を覚ました。
「シロさん!シロさんってば!起きて!!病院行こう!」
揺さぶりながら話し掛けてくるユキの腕越しに、枕元の時計を見るとまだ朝の六時。一瞬、今日は仕事だったかと考えてから薄っすらと定休日であることを思い出す。
「ん……でもまだろくじ……」
「今から行って並ばないと!昼頃じゃすごい混むよ」
「ん…………」
混むから六時。それは理解したが、今日は休みだと安心したシロの意識はまたうつらうつらと夢の世界に片足を踏み込み始める。
「シロさんってば。……もう、仕方ないな……。じゃあ先に行って並んでるから、後からちゃんと来てね?二度寝したらダメだよ?」
「んむ……」
溶け始めた意識の中で、ユキの気配が遠のくのを感じる。それを最後にシロの記憶は完全に途絶えた。
「あ……れ。でんわなってる……」
ピピピピピピピピ鳴る音に強制的に眠りを覚まされたシロは、もぞもぞとベッドから手を伸ばして枕元の電話を手に取った。表示されているのはユキの名で、そういえば何か言っていたようなと思いつつ電話に出る。
「もしも……」
『シロさんっ!二度寝したらダメって言ったじゃん!!はやくきて!』
怒鳴られてやっとシロの目が覚める。時計を見ると九時。そこからようやく、ユキが六時頃に病院病院と言っていたことを思い出した。何故知らぬ間に三時間も経っているのだろう。
「わ……かった、病院だよね。いそぐ……」
慌てて電話を切り、取るものとりあえず病院に向かう。向かいながら、病院って何だっけとぼんやり思った。
「シロさん早く早く!もうすぐ順番だよ!」
入り口で待っていたユキと合流し、後について小走りに病院内を移動する。ちらりと見上げたユキはいつも通り落ち着いた様子で、どこか具合が悪いようにも思われなかった。
「ねえユキ……。なんで病院……?」
ここまで来ておいて今更、という気もしたが、わからないので尋ねる。するとユキは意外なことを聞かれたようにきょとんとした顔をして、シロの顔を見つめた。
「なんで、って……。昨日のかゆいの、診て貰うんだよ。変な病気だと困るから」
「え」
昨日のかゆいの、と言われたところで昨夜の狂乱の記憶が蘇り顔が火照る。深夜は確かにかゆかった、つらかったが今はもう収まっているし、何よりそこはユキを散々受け入れた場所でもある。診て貰おうなど思いもしない。
「しかもさぁ、さっき聞いたら男の医者しかいないって言うんだよ。だから、それじゃ困るって言って女医さん呼び出して貰ったんだ。その先生もさっきやっと着いたところだよ」
シロの気も知らず、ユキはまるでそれが至極当然のことでもあるかのように淡々と話す。それを聞くシロからどんどんと血の気が引いていく。
──……女医さん?呼び出した……?
一瞬、ユキの言っていることが本気で理解ができなかった。
「い……いやだ!女のひとに、ユキに突っ込まれたとこなんか見せらんない!!」
病院の廊下で突然立ち止まり、仁王立ちになって顔をブンブン振る。絶対嫌だ、うちに帰ると騒ぐシロを、ユキは眉間にしわを寄せて見つめた。
「シロさん……じゃあもしも何かの病気で、後で大事になったらどうするの?ひとりで来て、俺以外の男に見せるつもり……?医者だってケモノなんだよ? いきなり診療台の上に押さえ付けられて、突っ込まれるかもしれないんだよ!」
「そんなんAVの中だけだよ!!……っていうかさ、もし性病だったら、明らかに媒介したのはユキじゃん」
病気を運んだのはユキ以外あり得ない、だって俺浮気してないもんと訴えるとユキも真っ向から反発する。
「俺だって浮気なんかしてないよ!というか生まれてこの方、シロさんとしかしてないし!!………シロさんと違って」
ボソリと小さく呟かれた言葉に今度はシロの方が反発する。
「あー!まだ根に持ってる!過去なんか関係ないって言ったくせに!未来が大事だとか言ったくせに!!」
「それは本音だよ?本音だけど、でもやっぱりシロさん慣れてるなぁって……最初の時思ったし」
「あ、わかった!だから怪しげなグッズ使おうとか言い始めたんだ!その結果がこれじゃん!やっぱユキのせいじゃん!!」
む、と口を閉じるユキと、ユキを睨み付けるシロの間に火花が飛ぶ。二匹の攻防を見兼ねたように、ぴんぽん、と平和さを繕うような音でチャイムが鳴った。
「26番でお待ちの方は、3番診療室にお入りください」
「26番!ほら行くよ、シロさん!!」
端末に表示された番号を受付に示しながらユキはシロの右手を引っ張る。
「いやだぁぁあ……!」
「わがまま言わない!!」
シロの叫びが待ち合わせホールにこだまして、そのまま3番診療室に消えた。