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■ 愛してるって言って 3

 ──胡散臭い。

 要人対応を終え、空港からリーネア・レクタ本部に戻ってきたユキは、端末を見つめながら眉間にしわを寄せていた。
 外務省から取り寄せた機密文書によると、ここ1~2年、ウルブスでは官僚の新規登用が相次いでいるようで、技術職から事務官まで幅広い人材が新たに雇い入れられていた。その中には、宮廷料理人一名というのもしっかり記されている。しかしさすがに個人名や国籍までは記されていない。外務省も、新たにウルブスに雇われた料理人がレース・プーブリカ共和国国民であるとまでは把握していなかったようだ。もしかしたら新規登用されたものの中には他にも他国籍のものが含まれているのかもしれない、と思う。
 ウルブスは、かつては自国の領地拡大に最も積極的だった国。このところはレース・プーブリカを中心とした大小様々の国による和平同盟が功を奏して、その動きに歯止めがかけられてはいるものの、このまま黙って大人しくしているとも思えず、どの国にとっても大きな外患の一つであることは明らかだった。
 だから、選り好んでウルブスに手を貸す輩などない──それがこれまでの常識であったのだが、それが覆されつつあるのではないか。トキが異例中の異例ならば良いが、ウルブス以外の国のものが登用されていないか、早急に調べなければならない。そしてそれがもしも複数名確認できるようなら、その登用に何らかの背景を探らなくてはならなくなる。手を貸すメリットの全くない国にあえて雇用される背景には、別の隠されたメリット、もしくは、手を貸さないことで生じるデメリットが潜んでいるに違いないのだから。

「ユキさーん。お呼びですか?」

 外務省に早速連絡を取っていると、戸外からコンコン、という音ともにアオの声がした。ノックをしてから声を掛けるのではなく、声を掛けながらノックをする、そのいい加減さに苦笑する。入室を促すとすぐに、アオがその締まりのない顔をぴょこんと覗かせた。

「どうもー。ご指名いただいたそうでー」

 間延びした言い方で、わざと卑猥な言い回しをする。最初の頃はアオのこの態度に苛立ちを覚えたものだが、仕事の付き合いも3年目となるとさすがに慣れてくる。構って欲しいのだろうと判断して軽く注意をすると、アオは首を竦めながら少し口元を緩ませた。

「一つ頼みがある」

 だがユキがそう切り出すと、さすがに顔を引き締める。神妙な顔をしたアオを見つめながら、ユキはおもむろに口を開いた。

「このひとの後を付けて、どこへ寄り、何をしたか、誰に会ったか、できれば話した内容まで全て報告をして欲しい」

 そう言うと、アオは露骨に面倒臭そうな顔をする。

「俺、探偵じゃないんですけどー」

「でも得意だろう?こういうの」

 リーネア・レクタの人間は使いたくないのだと話して写真を差し出すと、少々好奇心を刺激されたのか、アオは面倒臭そうなポーズを残しつつも素直に印画紙を受け取ってその中のトキを見つめた。

「この狼さん、何もんですか」

 わざわざユキが尾行させる理由に興味があるらしい。詮索するなと言うのは簡単、だがやる気が削がれて雑な仕事をされても困る。

「シロさんの、昔の男だ」

 端的にそう告げると、目に見えてアオの瞳が輝いた。

「へぇ……!そりゃまた……」

 わくわくした様子を隠そうともしないイタチを頼んだと言って解放すると、一目散に外に飛び出して行った。その現金さに苦笑する。
 トキがウルブスに仕えた理由がわかれば、ウルブスの謎も解ける。
 ユキにはやはり、理由なくトキが料理人の誇りを捨てたとは思えない。ユキにとってトキは、かつてユキからシロを奪った相手。だが、他ならぬシロが信頼して信用した相手でもある。そのトキがシロの信頼を裏切るような行動に出るのには、そして料理人としての誇りを捨ててまで他国に仕えるのには、やはり何らかの理由があるはずだった。

   +++

「シロさん、牛テールのブリックとジャガイモのシャルロット、それとポトフだそうです!」

「はいはーい、了解!貼っといてー!!」

 マグネットで貼られたオーダーがズラリと並ぶ。捌いても捌いても増えるそれを無我夢中で捌き続けるうちにようやくランチタイムが終わり、静けさが訪れる。それがランチタイムのいつもの風景だった。
 最後の一皿を作り終えたシロはため息を付く。それから溜まった皿を洗っていると、最後の客を送り出したクロが「お疲れ様でした」と声を掛けてくれた。

「クロもお疲れ。先に休んでていいよ」

「いえ」

 ねぎらいの言葉に端的に断り、隣で洗った皿を片付けてくれる。それに心の中で礼を言いながら、シロはひたすらに皿を洗い続けた。

 戦場のような忙しさが終わると途端にシロの心を占めるのは、昨日の男。ヒナと名乗った彼はしかし、今日はディーノに現れなかった。それが妙に気にかかる。口約束なのだし、すっぽかされたお陰でただ飯を食わせなくて良くなったと思えばいいのに、どうしてもそうは思えなかった。
 明るい金色の、大柄のライオン。歳の頃は、たぶんシロと同じくらいか少し若いくらい。なのにユキよりももっと精神的に幼く、少年のようで目が離せなかった。“使い捨て”と言っていたのも気にかかる。満足にものも食べられないような、そんな環境から逃げてきた密入国者──そんな人々は往々にして、逃げた先でも犯罪に巻き込まれたり悪い奴らに誑かされたりして身持ちを崩していくものだ。ディーノに現れない彼は今まさにそんな目に遭っているのではないかという不安が拭えないのだった。
 だが、シロにできることなど限られている。彼を探すといったって無闇矢鱈に歩き回るしかないし、彼に目をつけるような奴らがそこらの道端で彼を捕まえているわけもない。レース・プーブリカ共和国の首都といえどここにもアンダーグラウンドは存在するし、そんなところに一般人が首を突っ込めば身の破綻はまぬがれ得ない。ヒナを助ける前にシロが海の藻屑と消える。
 いくら心配であっても、シロにできることはほとんどない。ユキに話して、軍部に話を通して貰うことくらいだ。シロ自身にできることといったら食事を奢るのがせいぜいで、それさえ彼が無事で、その気になって、ディーノに来てくれればの話だ。
 自分は、無力だ。それを自覚すればするほど、気分は落ち込む。

「シロさん、なんか変ですよ」

 スパッと切り込んでくれるクロの、明快さに少し気分が浮上する。

「何でもないよ」

 そう笑うけれど、クロはそれを見逃してはくれない。いかにも不審げに目を細めた後で、しかし彼はふいに視線を外して手元の郵便物に目線を落とした。

「リーネア・レクタの入館証、届いてましたよ。せっかくだし遊びに行ってきたらどうですか?」

「え、もう届いたの?早いね」

 突っ込まれたくないというシロの心情まで見抜いて、あえて見逃してくれる。その優しさがありがたい。シロはクロを得難いひとだと思う。部下で、共に働く仲間で、……そして友達だ。
 3年前ユキに連れられて地元から出てきたシロには、この首都に友達と言えるほどの友達はいない。もはや就学年齢でもないから学校の友達というものもできないし、地元のあの小さな町では網の目状に張り巡らされていた住民同士の繋がりも、この首都では希薄だ。店員と客の間では余計な会話は起こらず、話し掛けてくるものといったら下心丸見えのナンパだけ。元々が田舎者で、地元の窮屈さもそれなりに居心地がいいと感じていたシロにとって、この首都の人間関係は寂しかった。
 けれど、このディーノを営むうち次第次第に知り合いが増えてきて会話をする相手も増えてきた。郊外の畑から野菜を直送してくれる農家のモンさんや、直接契約を結んでいて毎朝新鮮な魚を届けてくれる漁師のスミさん、首都の裏路地に佇むバー・スピールトのバーテンダーのミドリさん。その他、多くのひとに出会い、支えられてシロはここにいる。その筆頭がクロだった。就学年齢時に学校でできた友達とは、ちょっと違う。でもシロのことを気にかけてくれる、紛れもない友達だった。
 あのライオンには……ヒナには、シロにとってのクロのような友達はいるのだろうか。

「じゃあ……ちょっとお昼休憩の間に行ってこようかな……」

 以前、パンダの子が落ちてきた時にリーネア・レクタの前まで行ったのに追い返された話をしたら、ユキがシロに特別入館証を手配してくれたのだ。いつでもリーネア・レクタ内部に立ち入れるという……それは実はちょっと危険な代物で、だからシロの眼彩などの様々な生体反応を多数登録する必要がある。極端な話、シロの目玉一つ手に入れて通られても困るのだ。だから交付までに多少の時間がかかると言われていたのに、意外にあっさりと届いた。これでシロはいつでもリーネア・レクタ内をぷらぷらと歩き回れる。とはいえ濫用する気はさらさらないけれど、ちょっとだけリーネア・レクタの様子を覗いて来るのもいいかもしれない。もしもヒナに何かあったとしたら──レース・プーブリカ国内の犯罪組織に動きがあったら、真っ先にその情報が届くのはリーネア・レクタなのだから。

「俺は二階で休ませてもらってますんで」

 ひらひらと後ろ手に手を振って、クロはさっさと二階へと上がって行く。その後ろ姿を見送りながら、シロはふっと息を吐いてエプロンを外した。

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