■ 記憶の窒息 6
その翌日シロは、ユキが目覚めてから初めて、病院には行かずに大きな花束を二つ抱えて中央広場を訪れた。
一つは、金色のひまわりで作ってもらった花束。そしてもう一つは、白のダリアと青のムーンダストだけで作ってもらった花束だった。シロは広場の端っこ、色とりどりの花束が備えられている前まで来て、まずひまわりの花束を置く。最期にごめんと言った、ヒナの言葉の意味はまだわからなかった。だがわかっているのは、あの日シロが声を掛けなければあんなことにはならなかったのだろうということ。そして、シロは結局ヒナに何もしてやれなかったということだった。
激しい後悔が胸を焼く。己の無力さに腹が立った。けれどシロはヒナにも、そしてユキにも何もできない。できることがない。俯いたシロの胸で、もう一つの花束がカサリと音を立てる。その音に、こちらに意識を向けろと言われているような気がした。
献花されているところから少しだけ離れたところにもう一つの花束を置く。そこは事件のあったあの日、シロが立っていたところ。多数の死傷者を出した爆発が起こった場所であり、そしてユキが倒れた場所でもあった。
白い大輪の花は端正で華やかだったユキの姿を彷彿とさせる。そして青いムーンダストは、ユキの空色の瞳を思い出させた。側にいればいつでもすり寄ってきて甘えてきた体温。それを思い出しながら、シロは柔らかな髪を撫でるようにそっと花束をいたわるように撫でた。
「ユキ」
呼び掛ければ、すぐに振り向いてにこっと笑ってくれるユキの姿が目に浮かぶ。ほころぶ顔と同時に、最期に抱きしめて庇ってくれた時の腕の強さ、あたたかさまでもが一瞬のうちに蘇った。あの時シロはユキの腕の中に守られて、何が起こっているのか全くわからなかった。何も見えなかった。ただ聞くだに恐ろしい爆発音がしただけだ。
何かとんでもないことが起きている──そう思ってもがいたけれど、ユキはシロを抱きしめたまま決して離してはくれなかった。でもその腕から徐々に徐々に力が抜けていって……、ずるり、と滑り落ちたユキの身体の重さを覚えている。ユキが着ていた白いシャツが信じられないくらい真っ赤に染まっていた。
「来るのが遅くなって、ごめん」
事件後病院に搬送されてからシロは一度もここに立ち寄っていない。今まではずっと来るのが恐ろしくて避けていた。逃げていた。けれど、もっと早くここに来なければならなかったのだ、本当は。
「ユキ、ごめんね」
言葉にすると、ずっと逃げ続けていた罪悪感と後悔が胸を刺す。溢れる涙をそのままにして、シロはもう一度小さく小さく呟いた。
「ごめん」
今までずっと来なくて、ごめん。ここであんな、恐ろしい目に遭わせてごめん。
「ずっと一緒だって約束したのに」
なのに、自分だけがここに立っていてごめん。ユキはあの日、シロを庇っていなくなってしまったのに。
そう、ユキはもういないのだと、ようやく思えた。病院にいる彼は──立派なホワイトタイガーの“ユキヒロ・シオン”は、シロの可愛い可愛いトラ猫ではない。シロが慈しんで慈しんで大切にして、そして再会してからはドキドキして大好きでずっと一緒にいたかったユキは、もうどこにもいないのだ。
「ユキ」
なあにシロさん、と答えるユキの声が聞こえる気がする。ずっと待ってたんだよ、と拗ねる顔が見える気がした。
「ユキ。大好きだよ、ユキ」
白いダリアを何度も撫でる手に、涙がぽたぽた垂れては落ちる。青いムーンダストに、物言いたげに目を細めるユキの瞳を見たような気がした。