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■ 凍えるように小さな声で 10

「んで、話の続きだけどな」

 小さく咳払いをした後で、トキは現状についてさらに詳しく教えてくれた。“ズロー”という名の闇ブローカーのこと、そしてこの組織の幹部である、ルングこと黒牛の下でヒナ──あの金色のライオンは働いていたこと。

「え、トキさん……ヒナのこと知ってるの?」

 予想だにしなかった名前が出て驚くシロに、トキもまた瞠目する。

「おう。あいつ──ソラはヒナの弟」

 あいつ、と言いながらライオンの少年が消えた扉の方を顎で示す。その仕草に、また心臓が一つ大きく鳴った。
 あの少年──ソラというらしい──のオレンジ色の光には妙に懐かしさを覚えたのだ。それも道理、兄弟ならば面影が似通うこともあり得る。

 ──あの子の兄を、俺は助けられなかったのか……

 陰を負っていた金色のライオンに大切な存在があったらしいことに心があたたまる一方で、罪悪感がシロの胸を深く苛む。鬱々と沈み込みそうになった思考をトキの声が引き上げた。

「お前はなんでヒナのこと知ってんの」

 意識を失う前、広場に捧げてきた金色のひまわりの花を思い出す。それから、初めて会った時の彼の明るい笑みを思い浮かべた。

「ヒナは、俺の店にお客さんとして来たんだよね。……といっても、無銭飲食の客だけど」

 飄々としているように見せながら、どこかで何かに怒っているようであった彼。あれは、ルングという黒牛の下で働いていたことと関係していたのだろうか。それとも。

「あー、あいつ金なかったからなあ……。全部ソラの治療に回してたし」

 語るというよりは呟くように告げたシロの言葉に、トキもまた独白のような言葉を返す。

「ソラ……君の、治療?」

 悪いところなどどこもなさそうに見えた、ライオンの少年。だがトキはその言葉に頷き、軽く己の胸を叩いた。

「そ。胸が悪いらしい。詳しいことは知らねえけど」

「そうなんだ……」

「ヒナの奴は、ソラに治療を受けさせるために黒牛の誘いに乗ったらしいんだよな。ヒナとソラは、レース・プーブリカには密航して来たクチだから、行政府の管理する病院には掛かれない。闇医者を紹介してもらうためだっつーから、やめとけって言った矢先だった」

 その矢先に何が起きたのかは、言わずとも知れる。どうやらトキもまた、ヒナが事件の犠牲になって死んだことに──“矢先だった”と過去形で語らねばならぬことに、ひとかたならぬ思いを抱いているらしかった。

「ヒナは、密入国者……」

 しばし沈黙を落とした後で、シロは話の方向を変える。お互いヒナの死に忸怩たる思いを持つもの同士、傷をつつき合いたくはなかった。
 ヒナが密入国者だろうというのは、初めて会ったとき、彼がディーノに来たときにクロが予想した通りだ。飢えて、獣性を剥き出しにしていた金色のライオン。

 ──そっか……だからヒナは、ユキがリーネア・レクタに勤めてるって知ってイライラしてたのかな

 リーネア・レクタの本部前で会ったとき、蔑むような顔をして、苛立ちを露わにしていたことを思い出す。ヒナがあんな態度を取ったのは、ユキの仕事を見下したというよりも、シロがヒナのことをユキに密告すると疑っていたからなのだろうか。

「ねえトキさん。ヒナとソラ君の生まれ故郷って……」

 スパイスの原産国である、ワニの王国。その名前を出すと、トキは予想に反して首をかしげた。

「いや?あいつらの故郷はもっと南の方の、なんとかっつー国だったはずだけど」

 何だっけ……と言いながらトキは腕を組み、ふさふさしたしっぽを揺らす。

「そっか……。ヒナが小さいとき、近所にスパイスの匂いさせてる店があったって話してたから、てっきりそうだと思ったんだけど」

 ワニの王国原産の稀少なスパイスの名を上げると、トキはしっぽでぱたんと床を叩いて、同時に手をポンと打った。

「あ、そういうことか!そりゃあ俺の店だ」

「え、えええ?」

「むかーし、俺が首都にいた頃の話だ。あの頃は俺にもちょっとしたコネがあってな。しかも食材も自腹じゃねえから、いくら使っても痛くもかゆくもねえし。バンバン景気よく使ってたのよ」

「トキさん……」

 トキが首都にいた頃というのは、ゲラータエという超難関料理学校にいた頃の話だろう。レース・プーブリカ共和国では、国立の学校の教材費は全て国庫から賄われる。しかもゲラータエならばスパイスの仕入れ先にも事欠かなかったはずだ。だからって、バンバン使ってもいいということにはならないが。

「裏通りの、孤児院近くで露店やったんだよ。鍋ごと持ち込んでさ。でも学費で買った食材使って、作った試作品で小金稼いだなんてバレるとまずいから、売り切れたらすぐに店畳んで、その日は終わり。開店するのは気が向いた時だけ。いやー、実にボロい商売だったなあれは」

 ふっさふっさとしっぽを振りながらご機嫌な様子で何度も頷く。そんなトキの様子に開いた口がふさがらない。
 昔も今も、レース・プーブリカ共和国は教育費に莫大な国家予算を充てることで知られているが、国庫は無尽蔵なわけもなく、最近はさすがに学校の機材を使うのにも使用許可が必要だと聞いたことがある。なのに高価なスパイスをバンバン買って、食材もバンバン使って料理を作って、しかもそれを売って懐を温めたなど、古き良き時代の話とはいえ何の自慢にもならない。
 しかもその後偉くなって出世払いしたというのならともかく、トキは今なおどこに勤めるでもなくフラフラしているのだから、レース・プーブリカ共和国は完全に国費の無駄遣いをしたということになる。

「悪党……」

 いち納税者としては文句の一つも言いたくなる。だが同時に、ヒナがよだれを垂らして見つめていたという店がトキの営む露店であったということに納得もした。ヒナが最初、シロに『あんたの料理を食いに来た』と言ったのは、そしてそう言いさえすれば料理人など幾らでも丸め込めると思い込んでいたのは、絶対にトキの影響だ。

「気にすんな。それにお前が俺の代わりにちゃんと料理人になって働いて、税金も納めてるから問題ない」

 なのにトキは悪びれもせずそんなことを言う。

「トキさんもちゃんと税金納めなよ!フラフラ遊び歩いてなんかいないでさ!?」

「あ、それは無理。俺の今の住所、ウルブスだから」

「無理じゃないよ、それでも過去の滞納分があるはず……って、は?!ウルブス?!」

 素っ頓狂な声を上げたシロを前にして、トキはわざとらしく顔をしかめて、その狼耳を手で押さえて塞ぐ。

「うっせぇなぁ……静かにしろよ。防火扉は付いてっけど、防音対策なんてされてねぇんだから。誰か来たらどうすんだよ」

 変なこと言うトキさんが悪い、と思いつつもシロは渋々と黙る。そういえばさっきまでは余裕がなくて見てなかったなと思いつつ、周りを見回すと、視界の端に銀色に光る大型シンクが映った。厨房の隣に備え付けられた倉庫の中にシロたちはいた。

「直接的に契約結んでんのは、ウルブスの宮廷だけどな。でもあそこ、周辺国と仲悪ぃからほとんど宴会も開かれなくて暇でさ。暇だ仕事させろって騒いだら、じゃあちょっと取引先に出向して来いってな話になって、ここズローの地下本部にいるってわけ」

「ウ、ウルブスの宮廷……!?出向先って!」

 なるべく静かにとは思うものの、トキの明かす情報が驚愕すぎて静かにできない。

「トキさん、宮廷料理人嫌いじゃん!あんな、権利に擦り寄ることでしか生きていけないような奴らどうしようもねぇとか散々言ってたじゃん!!なのに宮廷料理人?!」

「まぁ……、そこはそれ、これはこれってことで」

「信じらんない!料理人の誇りは?!」

「料理人は辞めてねぇぞ」

「辞めてなくても……! ……っ、いてててて……」

 ヒートアップする余り思わず手を握りしめてしまい、もげる寸前まで行った指に痛みが走る。呻くシロにトキはまた呆れた顔をする。

「お前が何を言おうが、俺はもう契約結んでんだ。ぐちゃぐちゃ言うな。苦情は受け付けねぇ」

 至極面倒臭そうに説明するトキに、不承不承ながら口を閉じる。トキは一度こうと決めたら、シロの言うことになど聞く耳を持たない。

「むしろ、お前こそどうなんだよ」

「どうって何が」

 話をそらす気かと睨んだが、トキは意外にも真面目な顔をしていた。

「お前がルングの後を付けてたのがバレて捕まったのは知ってるけどな。なんでそんなことしたんだよ。ユキの指示か?」

 急に出された名前に一瞬息が止まる。どくん、と鳴った心臓に呼応して身体が震えた。

「ちがう……ユキは」

 言葉が途切れる。ごくりと唾を飲み込んで、それからシロはゆっくりと口を開いた。

「ユキは…………病院にいる」

 まずはそう答えると、トキの顔が歪む。眉間に刻まれた深い皺をちらっと見て、黙り込む。それからゆっくりと、シロは重い口を開いた。

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