■ 凍えるように小さな声で 11
「ユキと俺は……、2ヶ月前に広場で起きた、爆破事件に巻き込まれたんだ。俺はユキが守ってくれたお陰で怪我一つなかったけど、ユキは大怪我をして、…………記憶喪失に、…………なった」
途中で口を閉じないように意識して一気呵成に言ってしまおうと思ったのに、肝心要のところで詰まった。鼻の奥がツンとして胸を刺されるように痛むのをこらえてやり過ごして、シロは再び顔を上げた。
「もうすぐ退院の予定だけど。今はまだ、入院してる……と思う」
広場に花束を捧げに行ってから、一体何日経ったのだろう。二日?三日?いずれにせよ、後少しでユキは退院する。退院したら、宙ぶらりんになっている様々な手続き──自宅の権利や、ディーノのことなども含め、様々な──を行わなければならない。それを考えるだけで、シロの胸はきゅうっと傷んだ。
「それで。何でお前はルングの後を付けたんだ」
端的に投げかけられた言葉にシロは俯く。広場をうろついていた理由なら簡単だ。ユキとヒナに花束を手向けに行っていた。ユキに、もう病室に来なくていいと──迷惑だと言われて行けなくなったから。
その後、黒牛を付けた。その、理由は。
「……2ヶ月前の爆破事件の首謀者が黒牛──ルングなんだ。ルングが指示を出して、ヒナに起爆させた。そのことも気になったし、それに俺はヒナのこと知ってたけど、ユキはユキで事件前から黒牛のことを知ってたっぽかったから。それも、気になって」
爆破事件直前、ルングと言葉を交わしたユキは、いつも冷静な彼らしくなく、何かに苛立ったような様子だった。あの黒牛はきっとそれが何故知っている。知っているからこそ、そこを突いてユキを揺さぶったのではないかと考えた。
黒牛が何を知っているのか。どんな情報を握っているのか。それが少しでもわかればと、そう思ったから。
シロにトキの胡乱げな視線が注がれる。しばらくしてから、トキは低い声でボソリと告げた。
「お前の話に、一つだけ事実誤認がある」
何の話かと顔を上げたシロを、トキは感情の読めない目で見つめた。
「爆破事件は2ヶ月前じゃねぇ。3ヶ月前だ。……お前が捕まってから今までの間に、1ヶ月経ってる」
「いっ……かげつ……?!」
想像すらしなかった事態に衝撃が走る。広場でユキとヒナにと花束を手向けて。黒牛の後を追ってから、1ヶ月。意識を失っている間に1ヶ月経っていたというのか。
「ユキはもう退院してるだろうな。で、お前はある日突然姿を消して、1ヶ月間ずっと行方知れずってことだ」
トキの低い声が胸に落ちる。
「うそだろ……。それじゃ俺、まるで家出したみたいじゃん……」
自分の発した言葉に、自分でショックを受ける。ひょっとして、シロはユキに家を明け渡すため、荷物も家から運び出していたことも、シロがユキから逃げた証左として捉えられてはいないだろうか。ユキの退院までぐずぐずしていると身一つで出るハメになりそうだったから、早めに整理をしてしまおうと思っただけなのに。
後できちんとユキと話をしようと思っていた。同居していたことも説明して、でも今のユキはシロと暮らすことに抵抗があるだろうから、ひとまず別居しようという話をして。番いのことも何もかも、きちんとしよう──しなければならないと思って、胸が痛くなっていたのに。
予定外の結果に頭を抱える。
「みたいっつーより、家出そのものだろ?もう戻らないって三行半突き付けて、逃げてきたんだから」
ショックを受けるシロに、トキはそんな優しさの欠片もない言葉を吐く。
「俺はそんなつもり、なかった!」
確かに、記憶が戻る気配もないユキに途方に暮れていたし、“他人”と言われたことに傷ついてもいた。だが、だからといって挨拶一つもせずに逃げるつもりなんてなかった。
泣きたい気持ちで叫んだシロに、だがトキはギラリと光る視線を向けた。
「なら、どういうつもりだった?」
瞋恚の籠もった肉食獣の目に思わず息を飲む。甘ったれていた思いに、一瞬で冷水をぶっ掛けられた気がした。
「ルングの奴はユキを狙って爆破を指示した可能性があんだろ?そんなヤバい奴の後をのこのこ付いていって、“そんなつもりなかった”? どの口がそんなふざけたこと言ってんだ」
「……っ」
そうだ、トキがあの岩窟から連れ出してくれたけれど、その前に──もっと言えば捕まった直後に殺されていた可能性だってあった。そうしたらシロは永遠に行方不明のまま。
「ま、あいつらはお前をユキとの取引に使おうと思ってあそこに投げ込んどいたらしいけどな。だからある程度弱った頃に様子を見に来てた可能性はある。けど、それならそれでマズいだろうが」
ユキのことについて黒牛が何を知っているかを探りたいと思ったのに、シロ自身がユキとの取引材料にされて、ユキの弱みになるなんて、最悪だ。
「自分がしたことの意味をよく考えろよ。バカが」
吐き捨てるようなトキの言葉が刺さる。
黒牛を追いかけた時、何故思わず追いかけてしまったのか。ユキのために、なんて考えながらもどこか薄ら寒い気がしていた。義憤に駆られたとか、そんなのは全部自分に対する嘘で。
本当の本当に、心の奥底にあったのは。
──こわくて、何も考えたくなかった……から……
ユキのために何かしたいと思いつつ、そんなこと求められてすらいないことを知っていた。ならば何をすればいいのかと考えることさえつらかった。きちんとユキと話をするんだと思いつつ、番い解除の話をするのが恐ろしかった。それであっさりユキとの絆が断ち切れて、この18年間が無くなってしまうのではないかと思うとこわかった。
ユキの番いのままでいたい。今なら、もしも何かあっても──たとえ怪我をして死んだとしても、ユキの番いのシロのままだと。たとえ一瞬でも、思いはしなかっただろうか。
後悔が胸を焼いて、涙が溢れる。
シロは確かにトキの言う通り、全てを放り出してユキから逃げてきたのだった。
「……っ」
唇を噛んで俯いたシロの頭に、トキは無言でこぶしを落とす。ゴン、という鈍い音に次いで、近年すっかり忘れ果てていたトキの鉄拳の痛みを思い出す。
殴ってくれる優しさに甘えて、シロは少し泣いた。成長できない己を痛感しつつも、今だけは、と師匠の優しさに甘えた。