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■ 凍えるように小さな声で 13

 トキとシロの話を期せずして盗み聞きしてしまったソラは、兄が死んだ理由はルングが爆破指示をしたからだと知った。
 衝撃は、受けていない。ルングが兄を駒としか見ていなかったことも、そしてそのくらい平気でする奴だったことも知っている。ショックは受けていない、けれど、内心悔しさが募った。

 悔しい、悔しい、悔しい。
 何が悔しいって、一番は兄が死んだのが悔しい。あんな奴の言う通りに死んだのが悔しい。何おとなしく言う通りに死んでんだよとか、死ぬくらいなら死ぬ気で暴れればよかったじゃんとか、普段はひとの言う通りになんか全然動かない癖にとか、兄に対する悪態ばかりが思い浮かぶ。だが次の瞬間には自分への怒りと悔しさがこみ上げた。
 もしも広場で兄がルングに歯向かっていたら、まず間違いなく兄はルングたち幹部に殺され、ソラもまた殺されていた。このままズローにいてもソラは近い将来始末されると思うけれど、ゴタゴタしている今ソラの始末が後回しになっているのは、兄がルングの指示に従って死んだからだ。爆破指示が出たら後は、従うか従わないかの二択しかない。兄は、ズロー本部にいるソラの命を少しでも長引かせるためにルングの指示に従った。
 何もできない自分が悔しい。兄の枷となった自分が、兄を死なせた自分が、何より一番悔しくて仕方がない。廊下の白いタイルに、ぽつりぽつりと水滴が流れ落ちる。
 これは涙じゃない、泣いたりなんて絶対にしない。
 そう思うけれど、頬を伝って流れるものを止めることはできなかった。

 ──いっそ、このまま……

 このままズロー本部を抜け出して、ルングのところへ行って刺し違えてやろうかと思う。だがそう簡単に刺し違えられる相手ではなく、そもそもルングがどこにいるのか知らない。悔しいからやってやる、なんて、そんな根性論解決できるのは大したことでないことだけだ。がんばっても何とかならなかったから、兄は死に、ソラは今ここにいる。

 ──でも絶対に、このままでは終わらせない

 兄を犠牲にしておきながら、ルングは助かって万々歳なんて、そんなの絶対に許さない。許したくないならばすべきことは、復讐に燃えることではなく考えることだ。

 ──あいつらがされて嫌なこと、困ること……

 このズロー本部に半分拘束されるような形で居住する日々の中で、見聞きした情報は全て頭の中に入っている。奴らにとって致命傷とは何だろう。痛恨の一撃なんてレベルではない、いっそ組織全部を一網打尽にできる弱点はなかっただろうか。

 ──……そうだ、シロさん……

 弱点、と考えたところでふと、先ほど盗み見た白猫の背中を思い出す。彼のことを組織は一度殺そうとしたのだ、爆破によって。でも、それは何故?

 ──シロさんは何かまずいことを知ってる?……いや、そうじゃないな……

 もし彼が組織にとって致命傷となるような何かを掴んでいたとしたら、ルングに捕まりながらも殺されなかったことに説明がつかない。シロは“生かさず殺さず”ということで地下室に放り込まれたのだとトキが言っていた。“生かさず殺さず”、それは一度は爆破して殺そうとした相手への対処としては不適切だ。

 ──殺そうとしたのは、シロさんじゃない……?

 シロはルングについても、またズローについても何も知らないようだった。あれが演技でも何でもなく、本当に何も知らなかったとしたら。知っていたのは、シロと共に事件に遭遇した“ユキ”、ということになる。

 ──“ユキ”って……もしかして、“ユキヒロ・シオン”……?

 ズロー本部内で幾度となく囁かれてきた名前。組織にとって、レース・プーブリカ共和国における最重要人物。

 ──でもシロさんは、“ユキ”は記憶喪失になったって言ってた……

 だがもしもそれをルングたちはそれを知らなかったとしたらどうだろうか。“ユキヒロ・シオン”に何かを知られた、だから殺そうとしたのに殺し損ねたとだけ認識していたら。

 ──“ユキ”を、殺そうとする……?

 “ユキ”が目的ならばシロを生かしておくことにも説明がつく。そうだ、シロは“ユキ”への取引材料なのだと、トキがシロに説明をしていたではないか。今度こそ確実に息の根を止めようと考えるルングたちにとって、保険は幾ら掛けても掛け足りないだろう。
 ふと、“そのこと”に思い至った瞬間、ソラはぞわりと全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。そういえばさっき、トキは難なく地下室からシロを救出してきたけれど、あっさりそれが成せたのは何故か。廊下でも誰ともすれ違わず、こうしてソラがうろうろしていても誰にも見咎められない。医務室にさえ誰もいなかったのは。

 ──千載一遇のチャンスだ……!

 白いタイルを蹴って駆け出す。身体が雲のように軽かった。廊下を駆け抜け、階段を上へ上へと目指す。ソラは小さなオレンジ色のボールが転がるように跳ねて跳ねて駆けていった。

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