■ 凍えるように小さな声で 14
一方クロとアオは、リーネア・レクタの統括官ユキヒロ・シオンの名で人員を集め、港町近くの事務所に立ち入ったのだったが。
探しても探しても猫の子一匹、それこそシロ一匹見つからず、二匹は──特にアオは──焦燥感を深めていた。
──監査始めてから二時間が経過、か。シロさんの痕跡どころか、人身売買の証拠すら掴めないってのは……うーん……
事務所の中を片っ端からひっくり返す部下たちを、腕組みをして見守るクロ。そんな彼をちらりと見ながら、アオは考える。大々的にユキの名前を掲げておきながら失敗するのは色々とマズい。誰にとってマズいのかというと、主にユキにとってマズいのは勿論、クロやアオにとってもマズいのだ。無職にはなりたくない。
──しっかし。ここまで徹底的に探してるのに何も出てこないって、アリなの?
ズローが闇ブローカーであることは確かであり、またここがその根城であるのもまた確かな情報、のはずだった。問題はここにシロがいるか否かであり、奴隷売買の証拠は必ず出る、そういう話だったはず。なのに蓋を開けてみれば綺麗さっぱり何も出ない。
誤情報を掴まされたか、と想像するのは容易かったが、どこの誰がどうやって、というところがわからない。クロもアオもこの捜査は極秘理に、しかもプライベートで行っていたのだ。リーネア・レクタ内部の人員は一切使っておらず、漏れる可能性は限りなく少ない。
──たまたま、か……?いやまさか、そんなタイミング良いことなんてあるわけない……
クロとアオが踏み込んでくると知って誤情報を流したわけではなく、たまたま、偶然にも根城を移したばかりだった、なんてそんなことはあるだろうか。ユキならば鼻で笑いそうな考えだ。
──ん、……?
ユキならば、と考えたとき一瞬何かが引っ掛かったような気がした。アオは眉を顰めて思考をもう一度たどる。
ユキならば──記憶を失う前のユキならば、偶然なんて可能性はハナから考えない。もしもアオが『偶然じゃないですか』なんて言えば、そんな都合の良い偶然があってたまるかと一蹴することだろう。偶然も全て積み重なった状況により導き出された必然、そう考えるユキならば。
──俺とアオが“ここ”だって、確信を持ったのは……
ユキからも、情報が提供されたからだ。クロとアオの調査結果では、ズローの事務所は幾つか確認された。そのうちの一つがユキが掴んだ情報の中に、拠点として記されていた。二つの情報が同じ結果を指した、だから間違いないと確信した。
──でもユキさんはいつ調べたんだ……?
前から探っていたらしい、そう他人事のようにクロには話したそうだ。記憶がないのだから他人事なのは仕方ない。だが“前”とはいつだ。
──俺に狼さんの調査をさせる前から気づいてたって?……そんなばかな
もしそうなのだとしたら、ユキは人身売買の実態、そしてリーネア・レクタ上層部との癒着までかなり以前から掴んでいたことになる。
──ならなんで、上層部の告発を先にしなかった……?
ズローの調査報告書を持っていく先がないとクロに漏らしたらしいが、持っていく先云々よりもその実態把握、そして関係者告発の方が先だ。先にリーネア・レクタ上層部を押さえてしまえば、ズローの摘発などいつでもできる。
──そんな、まさか……ユキさんが……?
嫌な考えが脳内をぐるぐると回る。
今日の監査をユキの名前で行わせておきながら本人が同行しないことからしておかしい。クロは“ヘタレだから”だと一蹴したが、シロとのことでユキがヘタレていたとしても、それを仕事に持ち込むとは考えにくい。ユキは確かに今記憶を失っている、だが記憶を失っていてもユキは“ユキ”なのだ。
──記憶喪失で……頭ん中スッカラカンの癖に、敵も味方も騙すとか……
“ユキ”ならばあり得る、一度思いつくとそう思えてしまう。記憶の一切合財を失った中で、それでも“ユキ”の残した手がかりを追って、真実にたどり着く、なんて芸当がユキならば可能だろうか。
その上で、全てを手中に収めようとしてクロとアオに動かせたのだとしたら。
「やばい……クロ君!!」
胡乱気な目でこちらを見た黒犬の元へと、アオは走る。
「ユキさんに騙されたかもしれない」
「……どういうことだ」
唸るような声で応えた相棒に手短に推測を語る。クロの眉間に刻まれた皺がどんどんと深くなるのを見つめながら、アオはユキの心中を思った。
戻らない記憶と、それでも要求される仕事の質量の狭間で、彼は一体何を考えたのだろう。
部下にもう一つの捜索候補地の監査を指示する。その上で自身とクロは、首都へと戻る算段をつけた。凍結した道は車を走らせてもそう大した速さは出ない。どれくらいで戻ることができるだろうか。
今は一分一秒、0コンマ一秒すらも惜しかった。