■ それは陽だまりに似た 5
折り紙の中に記号を書き残したユキ。ユキは何を伝えたかったのだろう。
敵の居場所?本拠地?弱点?──いや、そんなものをシロに伝える意味がない。シロはリーネア・レクタの人間ではないし、捜査権限もないのだから。
じゃあむしろ味方の場所?何かあった時にそこに逃げ込めということか。その方がまだ、ありそうな気がする。ユキはいつもシロのことを案じてくれていたから。
──“いつも”……?
いつも、ではない。爆破事件に巻き込まれる前は確かに“いつも”だったが、事件後、記憶喪失になってからのユキはシロのことなど案じてはいなかった。
──でもあの折り紙は、最近折られたものだった……
クロは、ユキはシロを救出するために闇ブローカーの元へ向かったと言った。この“折り紙”という方法もそうだ。綺麗な千代紙など田舎にはなかったこと、いらない紙を貰ってきては二匹で折ったことを知らなければこのような伝達手段は思いつかないだろう。
──ユキの記憶が、戻り始めてる……?
だからシロのことも助け出そうとしてくれたのか。何かあったらここに駆け込めと記号を残したのか。
──いや、違う……そうじゃない……
ユキが家を出たのは、クロの言う通りシロのためだったかもしれないが、この記号は“何かあった時のため”などではない。助けが必要な時にのんきに折り紙をほどく馬鹿はいない。のんきに折り紙をほどく時とは。
──ユキがいないことに俺が気づいて……あのデスクトレイを開けて、ユキとの思い出を懐かしく思った時……?
全てが済んだ後、落ち着いた気持ちでぼんやりと眺めた時に不意におやと気づく、それが普通ではないだろうか。今回はたまたま、スミさんに無理を言って帰宅して、折しもクロから電話があって、話しながら眺めるという機会があったけれど、本当ならば今頃病室に縛り付けられていたはずなのだ。一週間、下手したら半月入院させられるかもしれない。そうして身体が治って帰宅してからユキの不在を知り、あの開きっぱなしの金庫を見つけてデスクトレイを開けるはずなのだ。
──遺言、のようなつもりで書いた……?
ユキが無事に帰ってきたら、この折り紙は廃棄するつもりだったろう。そう出来なかった場合のみ、この折り紙は効力を発揮する。
──でもリーネア・レクタのユキの個人執務室……?そんなの、こんな暗号にしなくたって……
そんなのユキを知るものならば誰でも知っている。わざわざ暗号化されるまでもない。
──でもこれ……俺以外が見る可能性だって……ゼロじゃないよね……?
わざわざ折り紙をほどく奴は少なかろうが、内外に敵が多いユキのこと、シロ以外の誰かもまたユキの遺した情報を求めて折り紙をほどく可能性も、低いがゼロではない。その時、リーネア・レクタで使われる方法でメッセージを残すだろうか。あのユキが?
──きっと別の意味があるんだ……
二重三重の保険を掛けるのは当たり前。そんなユキならば、リーネア・レクタの誰もが読める方法で書くとは思えない。もしもシロ以外の誰かが見たとしても、なんだユキの個人執務室かと思わせる、そのことに意味があったに違いない。四角い紙の上に円の外周を描くように丸く書いてあった、#R86725。あれは、余人の目を欺くためのフェイク?
ならば本当にユキが伝えたかったことは、なんだったのだろう。
ぱちりと目を開ける。白い天井が真っ先に目に入った。シロが意識を失っている間に、スミはシロを病院に連れ込んでくれたらしかった。
ぎしぎしと嫌な音を立てる身体を無理矢理動かして起き上がる。可動式のベッドに乗せられていた。隣からはバタバタと物音がして、ひとが走り回っている気配がする。これからシロの治療をしてくれるつもりかもしれなかった。
痛み止めが切れ始めているのか、身動ぎするだけで激痛の走る身体を宥めつつ、懐から折り紙を取り出す。裏側に丸く#R86725の文字。他には何もない。
はあはあと荒い息が耳に届いて、少し遅れてから、シロはああ自分の呼吸かと気づいた。金属音に似た耳鳴りがして、あまりよく音が拾えない。紙を持つ手もぷるぷると震えた。左手はトキが巻いてくれた包帯が巻きつけられているけれど、その下にはパンパンに腫れた赤黒い皮膚が垣間見える。素手で紙に触れている右手からは、黄色い体液が所々溢れ出ていた。
──せっかくきれいな紙なのに
自分のせいで汚れてしまうことを申し訳なく思う。綺麗だったコスモスの花を解いてしまったことも、今更ながら申し訳なかった。
折り筋に沿って、三角に折る。それからもう一度三角に折って、ユキが折った跡をなぞってコスモスの花を戻してやろうと思った。
袋を膨らませて、折り畳んで、一つ一つ花びらにしていく。ユキと遊んだ思い出もたどりながら、震える手でシロは折った。
──あれ……?
最後まで折ったところで不要な折り筋に気づいた。間違いなくたどれているはず。開くと、デスクトレイの中で見つけたのと同じコスモスの花が咲く。なのに閉じると、やはり不要な折り筋が目に入った。
──最初、別のものを折った……?
もう一度ほどき、最初から再び折り始める。三角に折って、それからもう一度三角に折ったところで、ふいに幼いころのユキの声が蘇った。
──『ここでね、袋を開かないでさらにこの角を折っていくの。そうすると、コスモスがほら!ダリアになるんだよ』
はしゃぐようにして言ったユキの過去の声に導かれるように折り続ける。折って畳んで、開いて、また折って。ひっくり返してから、一つずつ花びらを開いていく。シロの手のひらの上、鮮やかな大輪の花が咲いた。それをじっとシロは見つめる。
「そっか……ユキ、そういうことだったんだね……」
昔、ただの色紙で折った時は綺麗な一色のダリアとなったが、千代紙で折った今は紙がひっくり返って、裏側が表になってしまっている。けれどそれによって、#R86725の文字が花びらの上に散り散りになって見えた。並び変わった文字列は、R267#58。Rはシロたちの田舎でよく使われた略号だ。ルート、つまり“国道”。シャープは楽譜記号で“半音上がる”。
──国道267号線を上り方面、58番目。
それがユキの真のメッセージだろう。全てが終わった後にシロをそこに招いて、何をさせようというのか。
──ここで、何かが起きている……いや、まだ起きていないかもしれない。
ユキの予測より早くメッセージに気づいた。そのことは、わずかな猶予をシロに与えはしまいか。
国道267号線、上り方面58番目。シロの手のひらの中で、ダリアの花は応えるようにカサリと音を立てた。