■ それは陽だまりに似た 7
シロとの通話が切れてしまった端末を、クロはじっと見つめていた。スリープモードに移行した画面には、耳をピンと立てた不機嫌そうな黒犬の顔が映る。
「なあアオ」
その呼び掛けに、ステアリングを握るイタチはちらりと視線をクロに向けたが、そのまままた目線を前方に戻す。首都へと向かう車の中には、アオとクロの二匹しかいない。ヘッドライトの明かりが雪に反射して、アオのペールアプリコットの髪を淡く光らせていた。
「ユキさんが闇ブローカー“ズロー”を知ったのは、トキノ・ピルキスがウルブスの宮廷料理人になったと聞いたから……ってことだったよな?そこでユキさんはお前にトキノの調査を命じたけれど、その調査結果を知る前に爆破事件に巻き込まれて、記憶を失った。そしてシロさんは家出してズローに捕まった」
「まあ、時系列に沿ってまとめると、そーなるね」
「……でも結果から見ると、『トキノがウルブスの宮廷料理人になったら、“たまたま”爆破事件が起きてユキさんが怪我して記憶喪失になって、シロさんが家出した先で“たまたま”闇ブローカーに捕まって、それがまた“たまたま”ウルブスと繋がってる組織で。しかもその時“たまたま”ユキさんは闇ブローカーの人員を別の事務所に割かせるべく動いていた、だからトキノは難なくシロさんを助け出せた』ってことになる」
その言葉にアオはしばらく黙り込んだ後、静かな口調で言葉を紡いだ。
「……そいつはまた、なんつーか……」
間を置いたアオの後をクロが継ぐ。
「そう、“あり得ない”」
偶然にしては出来すぎている。トキノ・ピルキスは最初から闇ブローカーと軍事国家の繋がりを知っていたとしか思えない。さらに言えば、爆破事件が起きてユキが巻き込まれる可能性さえも。
全てを承知していて、ウルブスに宮廷料理人として入り込んだ──それならば彼の動きの不審さ全てに納得がいく。
「……あの事件の後さあ」
車内に落ちた沈黙の後、アオがこぼした呟きは二匹しかいない車中に大きく響いた。
最高速度で首都へ向かうジープは、明かりの届く範囲にあるものだけを暗闇に浮かび上がらせる。その外側には何も見えない。はるか遠くに人家の明かりはちらほら見えるものの、それは霞むようにぼんやりとしていて実在感を失って見えた。
レース・プーブリカ共和国の冬にも耐えられるよう作られたリーネア・レクタ専用のジープは、すべての生きとし生けるものが絶えたかのような静寂の落ちる夜の底を、滑るように進む。
「リーネア・レクタ主導の事情聴取があっただろ」
「ああ……」
相槌を打ってからクロは顔を顰める。
「病室のシロさんにも話聞いてた、アレ」
そう、意識の戻らない番いを案じて食事も喉を通らないシロのところへも押しかけてきて、無理矢理話を聞き出していた。かつての勤め先の上層部のそのやり方に、クロは反発を覚えたけれど文句を言うことは許されなかった。それだけユキヒロ・シオンはリーネア・レクタにとって重要な人物であり、彼が巻き込まれたこの事件の解決は優先すべき事項なのだと言われて。
シロもまた、その言葉に解決への願いを託したからこそ無理を押して事情聴取に応じたのだろう。その様子は傍で見ていて痛々しいほどだった。
「事件の翌日の事情聴取でさあ、シロさん、黒牛はユキさんのことを知ってたらしいって証言してたよな?」
アオの言葉に、クロは頷く。骨の形さえ見えそうなほどに痩せてしまった細い手、それをぎゅっと握りしめてシロが語っていたのを、よく覚えている。
「お前も、実行犯の方のライオンが数日前にディーノに来て飯食ったことも話してた。つまり事件の実行犯と主犯と思しき被疑者、そして被害者二名がそれぞれ顔見知りっていう情報が中央──リーネア・レクタ──には入ったわけだ。なのにその一ヶ月後、リーネア・レクタは犯人の意図は不明、ユキさんは巻き込まれただけだと発表してる」
雪面に反射したヘッドライトがアオを白く映し出す。赤銅の暗い色をしている彼の瞳がギラリと光った。
「普通は、黒牛とユキさんの関係を調べる、って?」
「そ。俺なら、ついでにライオンの身辺も調べて、シロさんの店に来た目的も調べる。でもリーネア・レクタ本部はそれをしなかった」
「……」
低く唸るクロをアオはちらっと見て、喉の奥で笑った。
「上層部にとってはライオンと黒牛の正体とその意図なんてものは百も承知で、ユキさんとの繋がりも100%わかってたってことじゃねえ?──つまり、ユキさんの事故はリーネア・レクタ上層部が」
「馬鹿な!そんなことあるはずがない!!闇ブローカーが独断でユキさんを狙ったってんならわからないでもないけど……相手はあの、ユキヒロ・シオン統括官だぞ?喪って痛手を負うのはリーネア・レクタ自身だろうが!」
アオの言葉を途中で遮って叫んだクロを、アオはちらりと横に流した視線で宥める。
「でもだからこそ、目の上のたんこぶだったってこともある。ユキさんに尻尾を掴まれたら、上層部の奴らといえどもそう簡単に逃げられるとは思えない」
「……」
中央機関、リーネア・レクタ。──それは、行政・立法、司法・裁判所、法執行・軍のいずれにも属さず孤高を貫く監察組織。その強力な権限を利用して、国の利益のためにだけ動くのが定められた役割。そのリーネア・レクタと闇ブローカー組織の癒着という問題は、レース・プーブリカ共和国の建国の精神すら否定するような事態なのだ。それをユキは事件前、独自捜査によって既に掴んでいた。後は告発するだけになっていたことが、もしも上層部に知られていたとしたら。
シロは、ユキが家にいないと言っていた。クロはてっきり、自分たちに空き事務所を捜索させてユキはまた別の──シロが捕まっていたという地下本部──を捜索しに行ったのかと考えていた。けれどシロは、それはないと言う。
ならばユキはどこに?
「……ユキさんは、記憶を喪ったまま……その事実を知らないまま、上層部の指示に従ってるってことか……?」
「いや、それはどうだろう」
クロの言葉に、アオは首を傾げる。
「俺は、あのひとは記憶が無くてもそのことに気づいてるんじゃねーかって気がしてる」
「気づいてるって……自分が上層部の奴らに命を狙われてるってことを、か……?」
「そう。気づいてて、俺らをあの港近くの事務所に行かせた。何も証拠なんて出ないのを、わかってて」
アオの言葉の意味を理解した途端、すぅっとクロの顔から血の気が引いた。ガリガリとタイヤが凍道を削る音だけが車内に響く。
「つまり……ユキさんは、上層部の企みに気づいてないふりをするために俺らに無駄足を踏ませて……シロさんを逃がす隙を作って、そんで自分は殺されに行ったって……?」
「俺は、そうじゃねーかって思う」
そのアオの言葉を、今度ばかりは「馬鹿な」と言って一蹴することはできなかった。
共に事務所に監査に行かないのかと──シロを助けに行かないのかと責めたクロに、ユキは反論らしい反論をしなかった。ただ、シロは自分に助けられることを望んではいないだろうと言っただけだ。ユキはきっと、シロが助けて欲しいと思っている相手は、記憶をなくした今のユキではなくて──……そう考えていたのを、クロは知っていたから。
「トキノ」
「んあ?」
突然顔を上げて言葉を発したクロに、アオは目を見開いた。
「ユキさんは、トキノがシロさんを助けると知ってた。つまりユキさんとトキノは、何らかの方法で連絡を取り合ってたってことだろ。しかも軍事国家ウルブス内部に宮廷料理人として入り込んだトキノなら、ズロー側の思惑も──場合によってはリーネア・レクタ上層部の考えも、把握してるかもしれない」
「トキノ、ね……シロさんが言ってた地下本部か。……やっぱあの狼さんがネックか……」
ユキにトキの調査を依頼されておきながら、むざむざと逃がしてしまった悔しさを滲ませてアオは言う。
「考えようによっては、ユキさんが残してくれた唯一の手がかりとも言える」
濡れたように光る路面を見つめて、クロは呻るように声を絞り出した。そんなクロの横でアオは呆れた様子で嘆息する。
「シロさんといい、ユキさんといい……あのひとらは俺らをこき使いすぎじゃね?」
「それは俺も、そう思う」
同時にため息をついた二匹を乗せて、ジープは一路首都へ。
積もりたての雪を蹴散らして、弾丸のように駆け抜けた。