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■ それは陽だまりに似た 8

 窓の外、積雪を吹き散らす風をユキはじっと見ていた。
 それを見ていると、ユキの中にふつふつと浮かび上がるものがある。泡のようにぽつぽつと浮かぶ記憶たちはまだら模様でいつのものかもわからない。しかしそれらは不思議なほどの実在感を伴っていた。

 ──……ユキ、見てごらん

 今もまた、頬を撫でるようなやわらかな声が耳の奥に蘇る。今まさにすぐ側で囁かれているかのように。

 ──低気圧が近づいてる。嵐が来るよ……

 優しく頭を、耳の後ろを撫でてくれた手の感触さえリアルだった。その時、自分はどうしたのだろうか。継ぎ接ぎだらけの記憶の中に自分に関するものは圧倒的に少ない。しかし記憶にはないけれど、きっと後ろを振り向いて撫でてくれるひとの手に頭をこすりつけた、そんな気がする。その細い首筋に鼻先をすり寄せて冷たいと言われた、そんな気がした。
 シロの家の、ソファの上。座り込んだユキを後ろから抱きしめてくれた。寒がりなシロは冬になるといつもブランケットを身体に巻き付けていて、座る自身の脚と腕の中にユキを入れて丸ごと包み込む。そしてユキの頭の上にあごを乗せて一緒に窓の外を見る――それがシロのやり方だった。
 そして窓の外を見ながら、いつも色んなことを話して聞かせてくれた。学校のことや、シロの家のこと、山のこと、その他色々なことを。
 後ろを振り向けば、いつもそこにはシロの顔がある。目が合うと笑ってくれる。優しく撫でて、時には額にキスをしてくれる。お返しにシロに抱きついて、シロの頬に鼻先をこすり付けて、首筋に頭をこすり付けた。シロを独り占めして甘えることが許される。そんなあたたかくて優しい冬が好きだった。

 ──……嵐が、来るよ

 シロが教えてくれた通りなら、ここにはもうすぐ嵐が来るはずだった。
 レース・プーブリカ共和国の嵐はただの強風ではない。国中の至るところに積もった雪を巻き上げてどんどん濃度を増していく。それはまるで雪の壁に覆われたように視界を遮ることから、白い悪魔と恐れられた。嵐が来たら、日光は完全に遮られ昼間でも夜のような暗さになる。手を伸ばした、その指先さえ見えなくなった。
 大人でさえ、通常の外套のまま外にいたら凍死しかねない極寒の嵐。まして子どもならば、決して助からないだろう。だから嵐を予見できるものは重宝されたのだ。そしてその能力を、知識を受け継いでいたシロは嵐を予感するといつもいち早くユキを抱き上げてくれたのだ。「ユキおいで」、と。
 そう言ったシロは、しかしその声のやわらかさとは反対にいつも真剣な顔で空を見上げていた。

 ──シロさんは、無事逃げられたかな

 寒さに弱いあのひとは、もうすぐ来るであろう嵐に備えて、ちゃんあたたかな屋内にいるだろうか。ブランケットに身を包んで、暖房をこれでもかとつけて。
 そんなことを考えて、ぼんやり窓の外を見つめていたユキのわき腹に突如激痛が走った。

「ぐ、……っ!」

「窓の外なんか見て、ずいぶんと余裕だな。ユキヒロ・シオン?」

 床に転がされたユキの片腹を蹴り上げた男は、顔を歪めて睨みつけてきた。獣種としては、ヤマイヌ。老犬と言っていいほどに年老いた彼の声は、しかし腹に響くほど低く太かった。

「……」

 無言を貫くユキを男は睨めつける。

「さっき連絡が入った。お前の番いが逃げ出したようだ。加えて、リーネア・レクタの端末への攻撃的ハッキングも発覚した。……これも、お前の差し金だろう?」

 その問いに、ユキはただ口角を上げるに留めた。だがそんな様子を忌々しげに見た男は、その靴先をユキの腹に埋めた。

「……っ」

 げほ、と咳き込むユキの口から血反吐が飛ぶ。それでもなお執拗に蹴り上げる男を、側にいた黒牛が止めた。

「そのくらいにしないと、死にますよ」
「構わん」

 そう返しながらもようやく打擲を止めた男を避けて、ユキは床に転がって男の元から離れる。げほげほと噎せながら、己の状況を冷静に分析した。

 ──さすがにまずい、かな……?

 アバラが4?5本、それに大腿骨頸部も骨折している。この分では、内臓もかなりやられているだろう。呼び出しに応じた時に覚悟していたとはいえ、その激痛は凄まじかった。殺されるのだという実感が今更に湧く。

「……ですが、この…………なので、」
「………、……………だろうが!」
「しかし、……」

 ユキをそっちのけに話を始めた二匹の声が、聞こえはするものの頭に入ってこない。まずいな、ともう一度思った。予想以上に体力が残っていなかった。

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