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■ それは陽だまりに似た 12

 ユキは事件の後、搬送された先で緊急手術を受けた。爆破事件の時よりは単純だった今回の内臓縫合と人工関節接合手術は無事成功し、肋骨及び大腿骨頸部は骨癒着までに半年と診断された。
 完全看護の行き届いた病院で治療に専念することももちろん出来たが、シロはユキを自宅で看ることにした。そんなシロ自身、頭部の打撲と凍傷が酷く、特に手足の凍傷はかろうじて骨にまでは到達していなかったものの、皮下組織まで及んでいたために人工皮膚を貼り合わせる必要があった。さらに左右ともに重度の異なる骨折があり、諸々含めて結局全治一ヶ月と診断されていた。そんな状態であったから、怪我人が怪我人を介護する傷傷介護だ。しかしそれでも、もはや一時たりともユキと離れて過ごしたくはなかった。
 今度こそちゃんと、向き合う。そんな決意を固めて、ユキとシロは互いに不自由な身体をかばいながら共に生活をしている。うっかりスプーン一本落としてしまっても拾うのに四苦八苦するので不自由なことは多かったが、シロにとってはそんな生活もさほど悪くはなかった。天より高く聳えて見える棚の上の、届かぬ器を見上げて二匹で呆然としてしまったとしても、一匹で途方に暮れるのとは訳が違う。なんであんなに高いところに乗せたのだろうと言い合いながら、松葉杖では脚立に乗れなかったり、凍傷の手では掴めなかったりしながら暮らす日々もまた愛おしかった。

 

 そんな休養期間の中もユキは一連の事件解決に向けてアオやクロ、またリーネア・レクタの部下に色々と指示を出していたようだ。その甲斐あってか、春も近づいたころ事件の全貌が報道され、レース・プーブリカ共和国民の心肝を寒からしめた。
 行政府と、それを監督すべき中央機関が共に闇ブローカーと繋がっていたこと、人材斡旋を隠れ蓑に密入国者・不法滞在者の人身売買を行っていたこと、そしてそれを告発しようとしていたユキヒロ・シオン統括官の暗殺を狙った先の爆破、番いであるシロの誘拐拉致、そしてユキの暗殺未遂。それを指揮したのがヤマイヌ種のリーネア・レクタ総裁であったことが明らかとなり、そこから芋づる式に、関わったリーネア・レクタ幹部及びそれに協力した陸軍幹部が複数名判明した


「そして上層部の総辞職という結末を迎えまして、結果、リーネア・レクタ総裁にユキヒロ・シオン統括官を推す声が高まっているわけですが」


 その報告にユキは心底嫌そうに鼻に皺を寄せる。その様子を見て、現状報告のために訪ねてくれたユキの部下の青年は大きな大きなため息をついた。


「そんな顔をしないでください。ユキさんは嫌がるだろうなと思いましたが、組織の刷新が求められている今、他に適材がいません。また事実、ここまで全てを明らかにできたのはユキさんの手柄以外のなにものでもないわけですから」


「俺“だけ”の手柄でもないけどね」


「……クロさんとアオさん、ですか?」


 首を傾げた青年に、ユキはただ無言を返した。
 爆破事件後、記憶のないユキは自分で自分の調査を始めたらしい。そうしてわかったのは、事件の真相と、トキの存在。トキは独自に人身売買の情報を掴み、それを明らかにするため軍事国家ウルブスに潜入していた。そしてそれを足掛かりに、レース・プーブリカ共和国内の闇ブローカー組織“ズロー”へと潜り込んだ。
 ユキは、そのトキに頼んだのだ。シロを助けてくれ、と。


 ──記憶喪失じゃなかったら頼んだかわからないから、まあ結果的には記憶をなくしていてよかったのかもしれないけど。


 そう、記憶の戻ったユキはシロに言う。
 ユキに言わせると、記憶とは一種の“実感”なのだそうだ。自分の過去を“知っている”だけでは、それは記憶があるとは言わない。過去の出来事そのものよりも、それに伴い蘇る実感こそが記憶なのだと。
 トキとのことに関して言えば、トキにシロを盗られたと感じた過去の実感があればこそ、今でもユキは決してトキに頼ろうとは思わない。実際、爆破事件前はトキのことをアオに調査させたが、トキ自身に連絡を取ろうなどとはこれっぽっちも考えなかったという。けれど記憶を失っていたユキは、客観的に考えてトキに頼むのが最善と判断した。そして自分は囮となることを選んだ。それが一番、シロが助かる確率が高かったから。そうして第二の囮にクロとアオを使った。
 トキは約束通りシロを助け出してくれたが、それだけに留まらず、ズローの機密情報まで盗み出してくれたらしい。事件後、ユキに送りつけられてきたトキからの情報に、今回の告発は拠るところが大きいのだとか。こちらの調査情報と、向こうの内部機密との両方があったからこそ言い逃れの余地もなく、上層部を一網打尽にできたのだ。

 

 事件後、トキの行方はまたしても杳として知れない。
 シロとしては、トキがウルブスの宮廷料理人なんてことをしていたのも理由があったとわかって何だかホッとしたが、それより何よりヒナの弟──ソラのことが気がかりだった。闇ブローカー組織・ズローは壊滅し、構成員は全て捕らえられた。そしてその拠点であったあのビルも押さえられたが、そこにトキとソラの姿はなかった。
 どこかに無事でいるのだろうか。もしもそうなら、一度あの子に謝り、伝えたい。彼の兄を助けられなかったことを謝り、そして──そしてヒナの最期を伝えたいと思う。
 死ぬ間際、ごめんと呟いたヒナ。あれは、シロの番いであるユキごと爆破せよという命令に逆らえなかったことへと謝罪だったのか。それとも、約束の時に店に来れなかったことへの謝罪だったのか。店に来た時に話してくれたことがシロの胸に残っている。使い捨てられるのはわかっていると言っていたけれど、でも生きようとしていた。
 だがそれを伝えたいというのもシロのエゴでしかないのかもしれない。ソラはシロの元を訪れない──トキは連れて来ないのだから。


「そんな状況ですので、復帰後は覚悟しておいてくださいね」


 にこ、と笑った部下にユキは苦笑いを返す。お邪魔しました、と挨拶をしてあっさりと帰っていった青年を見送って、シロは恐る恐るユキに尋ねた。


「ユキ、総裁になるの……?」


 リーネア・レクタの総裁なんて、どんなものなのか想像もつかない。えらいひとにユキはなってしまうのか……という感慨も含めた問いかけに、しかしユキは「まさか」と心底嫌そうな顔をする。


「俺は一分一秒でも早く家に帰りたいから、そんな面倒なことは引き受けないよ」


 はっきりと言うユキに、「でも……」と首をかしげる。


「他にいいひとがいないんだって、さっき」


「いるよ別に。みんな優秀だよ。大丈夫」


「……」


 確かにリーネア・レクタに勤めるようなひとたちは優秀だろうが……。軽すぎる返事が逆に不審だ。胡乱気な目を向けるシロに、だがユキはきっぱりと告げる。


「そもそも、武闘派でもない俺がなんで現場に出なきゃいけないのかも常々疑問だったんだよね。今までは、なんかそういうものなのかなぁと思って流されてきたけど。でも復帰後は、もう絶対に、嫌なことは嫌って言おうと思って」


「えぇ……?」


 そんなことが可能なのだろうか。ユキの仕事は、単純作業とは言い難い。色々と難しい問題があって、そんな、嫌だからやりたくないなんてことが通るとは思われないのだが。なんとなくその分の皺寄せがほかのひと──そう、例えばアオとか、さっきの部下のひととか──に行きそうな。そんな気配を濃厚に感じつつも、決意を秘めた顔をしているユキをシロは呆れながらもただ見つめる。
 ユキは幼い頃も学校が嫌いで、いつも授業が終わると一目散に帰ってきていた。お友達と遊んできたら、といくら言っても聞いた試しがない。幼い頃からそうだったのだから、ユキに嫌がることを無理強いしても無駄かなぁと思うのだった。

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