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■ それは陽だまりに似た 13

 嵐の去った晩冬の白い色の空を、ソラはじっと見つめた。春を待つこの時期、レース・プーブリカの空はいつも灰色。それを見ているうちに、ソラは初めてレース・プーブリカ共和国に足を踏み入れた時のことを思い出した。


 ──あの時も、確かこんな空だった。

 

 ソラと、兄のヒナは愛すべき祖国から命からがら脱出してきた。生まれ育った国に対する思い入れはあれど、そのままいても飢えて死ぬだけなのはわかりきっていた。ライオンは獣種としては上位に当たるが、ソラとヒナが生まれた国では上位種であることのメリットはほとんどなかった。むしろ上位種であるがゆえにソラが3歳になると保護施設から追い出され、自分たちだけで生活をすることを要求された。しかしそれは食料事情の逼迫したかの国では甚だ困難で、脱国前はソラもヒナも体重が通常の三分の一にまで減っていた。
 同じような苦難から逃げ出してきたひとたちと不法移民船にぎゅうぎゅうに詰められて、汗と泥と汚物の臭いの充満する環境に何日も耐えて、ようやく海を越えてやって来たレース・プーブリカ。全ての獣種にとっての、夢の理想郷。


 ──でもここも、理想郷ではなかったけれど


 レース・プーブリカは確かに平等の精神が行き届き、稀に見る平和が実現されていた国ではあったけれど、不法移民で不法滞在者のソラとヒナのことを受け入れてくれたわけではなかった。いつも軍部に追われ、逃げる日々が続いた。捕まったら祖国に強制送還されてゲームオーバー、逃げ延びればゲームコンティニュー。そんな危うい立ち位置だった。
 しかし当初ヒナはそんな状況を楽しんでいる節さえあった。けれど変わったのは、ソラが胸を悪くして、満足に走れなくなった頃から。
 兄がソラのために何をしたのか、ソラは知らない。だが闇ブローカーに所属して居場所を確保しつつ小銭を稼いでくれたことや、必死で闇医者を探してくれていたことは知っている。時にはどこからか教科書を持ってきて、「お前は頭がいいんだからこれで勉強しろ」と言ったこともあった。飢えた経験から食うに困らないように食料の備蓄には余念がなく、そしてソラにもいつも大事に食えと言っていた。その頃には段々ソラにもレース・プーブリカという国に何かを期待する気持ちはほとんどなくなっていて、平等を標榜する国ではあるが、不法移民は“平等”の対象外なのだと理解していた。レース・プーブリカという国について学ぶ気も、考える気もなくしていた。だってどうせこの国はソラとヒナには何もしてくれない。奴隷のように売られて、ゴミのように捨てられるだけなのだから。そう思っていたけれど。


 ──でも、あの教科書は役に立ったな…


 自らが勉強嫌いゆえに、ヒナが持ってくる教科書はソラの年齢や学業レベルを無視したものばかりで、最初はちんぷんかんぷんだった。でも何度も何度も繰り返し読んでいるうちに段々とわかってきて、偏ってはいるが知識といえるだけのものが身に付いたと思っている。闇ブローカー組織の厳重なプロテクトを掻い潜り、リーネア・レクタの本部へのハッキングに成功したのもソラだ。そのあと組織の構成員に見つかって、もうダメかと思ったけれど。でもトキが首根っこを掴んで助け出してくれた。トキには散々怒られたけれど、でもその時思ったのだ。兄が自分につけてくれた知識と技術は、このレース・プーブリカでも通用する、と。それを以てすればきっと──…
 ソラの手元の書類には、トキのサインがあった。当初、トキは難民申請をするかと聞いてくれた。トキに身元引受人になってもらってその保護下で暮らすことに、心が動かなかったわけではないけれど。


 ──でも、僕の家族は兄ちゃんだけだから。


 ここまでの道は、ずっと兄に手を引いてもらった。だから後は、自分の足で歩くべきだ。
 そう話したソラに、トキは黙って難民高等教育プログラムの申請書類を用意してくれ、保証人のサインもしてくれた。もうこれで充分だ。


 ──…お前は、頭がいいんだからさ


 だから勉強をしろと言っていた兄を思い出す。難民高等教育プログラムに受かれば、レース・プーブリカ共和国の最高学府たるプラエスタト学術機関附属のレーギア校で学ぶことが許される。在学中は全ての費用を国が負担してくれる。そこで目一杯勉強して、そして。


 ──こんな思いは、もう僕だけで充分だ。


 もう誰にも家族を失ってほしくないから。絶望なんて味わってほしくないから。この国を本当の、理想郷にする。他国からの難民にとっても、理想である国へ。
 ソラはもう一度灰色の空を見上げた。
 晴れ渡った晴天などでなくていい。暗雲立ち込めた空でいい。それでも生きていくのだと、決めたから。

 

 そのための第一歩が、ここから始まる

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